中国新聞
2001/4/18
 宮内 洋(宇部商)  (2) 
 みやうち・ひろし 1973年2月4日、防府市生まれ。桑山中〜宇部商高〜住友金属。社会人1年目の都市対抗大会で2アーチを放ち、最優秀新人の「若獅子(しし)賞」を獲得。プロでは昨年9試合に出場し、9打数1安打。同年10月に由佳さん(27)と結婚。右投げ左打ち。一塁手。横浜市金沢区在住。
「プロでもファンの印象に残る活躍をしたい」。横浜の一員として意気込む宮内さん  
 
高校生離れした長打力を見せた宮内  
横浜入団 じわり頭角

 「史上初」の記録は、ファンの記憶に深く刻み込まれる。一九八八年夏の甲子園。宇部商の宮内は、代打逆転本塁打を放った。七十回を迎えた選手権で代打本塁打は史上5本目だったが、逆転は初。ニキビ顔も初々しい十五歳のヒーローは、「無我夢中だった」とケロっとしていた。

 強打の宇部商で一年生ながら唯一、甲子園メンバーに選ばれた。捕手の経験は浅かったが、非凡な打力を買われ、代打の切り札としてのベンチ入りだった。2回戦の七回に初起用され、反撃の口火を切る二塁打を放った。

 3回戦の東海大甲府(山梨)戦。ベンチ裏で素振りをしていると、1―2の九回一死二、三塁の場面で出番を命じられた。2球目の外角直球を振り抜くと、バックスクリーンでぽんと跳ねた。「バットのしんでとらえた感触があった」。淡々と振り返る姿に、辛口評の玉国光男監督(53)も「末恐ろしい選手」と語ったほどだ。

 当時、部長だった田北雅一・県高野連理事長(43)は「普段はおとなしく、どこにいるか分からないほど。ユニホームを着ると、別人だった」と思い起こす。フリー打撃で自打球が顔面に直撃した時も、練習を休まなかった。

 二年の時は、勝運に恵まれなかった。三年夏に四番、捕手で甲子園の土を再び踏んだ。初戦の美濃加茂(岐阜)戦で二回、先制ソロ。ところが、試合途中に相手打者のファウルが右肩を直撃。その影響で2回戦は1安打、3回戦は2安打を放ったものの、持ち前の豪打は影を潜めた。

 高校通算49アーチのスラッガーにとって、二度の甲子園はプロへの「通過点」にしか考えていなかった。しかし、周囲には代打逆転アーチの印象があまりにも強烈過ぎ、それ以降はさほど宮内評は高まらなかった。「高校生活はあの一発しかないように言われ、つらかった」

 社会人の住友金属に進み、一年目から活躍。プロからの誘いを待ち続け、七年目の九七年ドラフト会議でようやく横浜から5位指名された。

 元社会人選手の父敬一さん(63)=福岡県久留米市=は、プロ入りに反対した。息子に野球を教えた父には「グラウンドでの活躍より、趣味の釣りで時を過ごす寡黙な姿の方が強く印象に残っていたんです」。人を押しのけてまで、のし上がるタイプには到底思えなかったのである。

 「マシンガン打線」の異名を取る横浜。昨年はプロ三年目で初の一軍昇格を果たし、七月の阪神戦で初安打をマークした。「これからは一年ごと、一打席ごとが勝負だ」。史上初の一振りでファンの記憶にとどまる男は、プロ世界では一振り一振りの積み重ねで活路を見いだそうとしている。


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