2001/4/19
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| 宇多村 慎(桜ケ丘) (3) |
| うたむら・まこと 1972年5月20日、新南陽市富田生まれ。周陽中〜桜ケ丘高〜協和発酵。社会人一年目の91年、貴重な左腕として都市対抗大会出場に貢献。2000年は14年ぶりの日本選手権に導いた。左投げ両打ち。投手。防府市在住。 |
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| 「野球人としての自分があるのは、オヤジのおかげ」と感謝する宇多村さん |
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| 緩急自在の投球で甲子園初出場の原動力となった宇多村 |
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特訓で地力 粘りの投球
時代が昭和から平成に移った一九八九年夏。山口の高校球界にもニューパワーが現れた。創部四十二年目の桜ケ丘が、春夏通じ初の甲子園切符をつかんだ。二年生エースの宇多村は「オヤジに恩返しができた」と感慨にふけった。栄光は「親子愛」の結晶だった。
春季県大会を制し、夏の山口大会は第一シード。準々決勝の宇部商戦が、事実上の決勝戦といえた。前年夏の甲子園ベスト8校を相手にもひるまなかった。直球とカーブに加え、当時の高校球界では珍しいフォークも駆使。6安打2失点の完投勝ちを収めた。準決勝と決勝も1失点で切り抜け、悲願の頂点に立った。
優勝した当夜、父の悟さん(55)=徳山市周陽一丁目=は言った。「ありがとう」。ぺこりと頭を下げた父に対し、「これで親孝行ができたかのぉ」とだけ答えた。口数少ない親子には、これだけで十分に気持ちが伝わった。
悟さんも防府商で甲子園を目指す球児だったが、二年で退部した。四人兄弟の長男。経済的な理由から断念せざるを得なかった。宿願は息子に託した。二歳からキャッチボールを教えた。生まれた時からぜん息を患っていたため、体力強化も兼ねた。「小学時代からオヤジの期待をひしひしと感じていました」
ニックネームは「星飛雄馬」。人気アニメ「巨人の星」にちなみ、近所の人が名付けた。小学六年の時、悟さんが自宅裏庭に、マウンドや打撃練習場などを整えた。夜な夜な、親子二人の特訓が続いた。
甲子園初戦の2回戦で、北海(南北海道)と対戦。「観衆の多さに圧倒された」という序盤に2点を失った。計10安打を浴びたが、持ち前の粘り強い投球で6―2で初勝利を飾った。
3回戦は優勝候補の帝京(東東京)が相手。「前夜は一時間しか眠れなかった」ほど緊張していた。内角狙いの直球がシュート回転して真ん中に。計14安打を浴び、1―10の完敗を喫した。「相手の力が上だったということです」。言い訳を嫌う性格も父親譲りだ。
協和発酵では一年目から活躍し、十一年目の今年もエースで奮投する。「小さいころに、オヤジと一緒に体を鍛えたことが財産となっている」と感謝する。
七月に出産予定の第一子は男児だと分かっている。「どうも、オヤジが孫を第二の星飛雄馬に狙っているらしいんです」。山口の空には、宇多村親子が見上げる「甲子園の星」が輝いている。
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