2001/4/21
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| 下松 孝史(広陵) (5) |
| したまつ・たかし 1973年4月26日、広島市安佐南区生まれ。戸山中〜広陵高〜神戸学院大。現在は広島市に本社がある飲料メーカーに勤務。休日は草野球チームの中軸打者として活躍する。左投げ左打ち。外野手。同市安佐南区在住。 |
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| 「能力的には平凡な選手だったから、人一倍努力するよう心掛けた」と振り返る下松さん |
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| 勝負強い打撃で、広陵をセンバツ優勝に導いた下松 |
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初戦の同点弾で勢い
選抜に強い広陵が一九九一年春、六十五年ぶりに二度目の優勝を飾った。甲子園に春風を吹かせたのは、右翼手の下松だ。初戦で同点2ラン、決勝でサヨナラ打を放った八番打者は、紛れもなくラッキーボーイだった。
「まじめ」「勉強熱心」…。当時を知る教員や同級生が記憶の糸を手繰っても、学業面の優等生ぶりを認める声ばかり。選抜での活躍以外は、グラウンドでの印象は不思議と薄い。前年秋の中国大会は無安打だった。「レギュラーを外されるかも」。そうした不安をクリアしての甲子園だった。
1回戦三田学園(兵庫)戦は、雨中の熱戦。八回、相手エース岡本晃(近鉄)が手元の滑る変化球を嫌って投じた直球を狙いすまし、右翼ラッキーゾーンに運んだ。
170センチ、63キロとメンバー十五人中、最も小柄な下松にとって、初のさく越えアーチだった。「あの場面でもう一度打てと言われても、手も足も出ない」と照れながら回想する。
一度ならずも、二度まで勝利の女神を振り向かせた。決勝の松商学園(長野)戦のサヨナラ打は、投手から右翼に回った上田佳範(日本ハム)のグラブをかすめて転がった。ヒーローインタビューでは、はにかみながら「信じられない」。今になって思うと、「同じ右翼を守った経験からしても、普通の外野手なら取られてますよ」。
この活躍を「強運」だけで片付ない人物がいた。入学当時の監督だった松元信義総監督(55)である。早くから「この選手はいつか大仕事をするやつだ」と、周囲に漏らしていた。
生まれながら左耳が不自由だったが、右耳を傾けて指示を聞き入った。長距離走では、常に先頭を走る頑張り屋。松元総監督は「何事も聞き漏らすまいという、どん欲な姿勢が印象的だったんです」と振り返った。
一躍ヒーローになり、大会後は三十通を超すファンレターが届いた。だが、自分の実力は知り抜いていた。甲子園の活躍は「たまたま巡り合わせがよかっただけ」。そう思っていたが、その後の試合では好打者として相手投手の徹底マークに苦しんだ。
大学の野球部でも、知名度先行の重い「十字架」に嫌気が差した。練習量は減り、控えに甘んじた。「いい意味でも悪い意味でも、人生が変った」と語る。
周囲には「運を使い果たした」とうそぶくが、「宝くじの当選発表はドキドキしますよ」。心の底では三度目の強運を待ち望んでいる。「ただ運は日々の努力がなくては、つかめないですよね」。生涯唯一のホームランボールを握り締めながら、自分に言い聞かせるように高校時代の教訓を思い起こした。
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