2001/4/23
 |
| 二岡 智宏(広陵) (7) |
| におか・ともひろ 1976年4月29日、三次市生まれ。十日市中〜広陵高〜近大。大学で遊撃手に転向。2年秋に首位打者に輝き、3年夏はインターコンチネンタル杯で最優秀守備賞を獲得した。99年、ドラフト2位で巨人入団。昨年まで打率2割7分9厘、28本塁打、83打点。右投げ右打ち。内野手。川崎市多摩区在住。 |
 |
| 「高校時代から負けず嫌いな性格だった」と振り返る二岡さん |
|
| |
 |
| 走攻守三拍子そろい、チームの大黒柱だった二岡 |
|
バット振り過ぎ骨折
白球に情熱と精魂すべてをささげる「求道者」だった。自分の身と骨を裂くまでの猛練習を重ね、「野球のためなら死んでも構わん」と口にした。甲子園の地を一度も踏めなかったが、創部九十年の広陵野球史で「先にも後にも二岡なし」と語り継れている。
走攻守の三拍子そろった大型三塁手。投げても140キロ近い速球を誇った。だが、甲子園に春夏三十二度出場し、四十人近いプロ選手を輩出している広陵では、傑出した存在ではなかった。中井哲之監督(38)は「実力なら毎年一人はいる選手。努力を惜しまない点で、天才だった」と強調する。
二年秋のシーズンに、「人間像」が垣間見える。県大会準決勝の日、父親が交通事故で重体。その日は病院で一睡もせず、翌日の決勝に駆け付けた。「父のためにも、悔いのない試合がしたかった」。
県大会後、父親は死亡。迎えた中国大会では1回戦でヒットの瞬間、右ろっ骨を骨折した。連日一千回を超すスイング練習に、未発達の体が悲鳴を上げた。医師から「無理に動けば、骨が肺に刺さる」と言い渡された。
2回戦はスタメンから外された。右ひじ痛を耐えながら力投を続ける福原忍(阪神)は、小学校時代からのチームメート。見るに見かねブルペンに走った。何度も止める中井監督に向かって、「ユニホームを着たら痛みを感じない。チームのためなら、自分の体はどうなってもいい」。若者特有のせつな的な言動も、真実味を持たせた。
強烈な「負けじ魂」の持ち主だった。兄の聡さん(27)=広島市東区牛田新町=は同じ広陵の野球部員として、九一年のセンバツで優勝を飾った。「兄を追い越したい一心だった」。近大では「甲子園出場組には負けない」と猛練習を重ね、一年からレギュラーに定着。日本代表にも選ばれた。
四年春、高校時代からマークしていた広島が、いち早く獲得を表明した。ところが、ドラフト三週間前に巨人を逆指名した。協定以上の契約金などがうわさされた。広島ファンからは「裏切り者」とののしられた。「(希望球団は)報道が先行していた面もある。何を言われても仕方がない。技術を磨き、自分のプレーを貫くだけ」と話した。
人気選手となった現在も、「野球に集中できる環境だから」と選手寮で暮らす。今春入団した広陵の後輩、川本大輔投手(18)は「練習ぶりは伝説となっている」と明かす。
毎年末に広島で開く忘年会では、中井監督や高校時代のメンバーと旧交を温める。「野球の技術以上に、人間関係の温かさを知った」。孤高の「天才」が大事にする思い出である。
|