2001/4/28
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| 宗政 徳道(高陽東) (9) |
| むねまさ・とくみち 1978年7月12日、東広島市高屋町生まれ。高屋中〜高陽東高〜日体大〜東京ガス。大学では2年春からエースを務め、通算18勝。読書が趣味で、中でも大正期から昭和期にかけての歴史物を読みふける。あこがれのプロ選手は、広島や阪神で活躍した左腕の江夏豊。右投げ右打ち。投手。東京都大田区在住。 |
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| 「相手が強ければ強いほど燃える」と語る宗政さん |
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| 強気のマウンドさばきで甲子園6勝を挙げた宗政 |
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強豪打倒に闘志燃やす
「ガキ大将」だった少年時代から、ポリシーがあった。「弱い者いじめはしない。ケンカは強い相手とする」。強豪校の誘いをけって当時無名だった高陽東に進んだのも、その心意気の表れだった。宗政はエースと四番の二役を務め、一九九六年に春夏連続で甲子園出場を果たした。
広島市北部の新興住宅地にある学校は、八三年の開校間もなく野球部を立ち上げた。九三年、広島工を春夏五度の甲子園に導いた小川成海監督(51)が就任してから力を付け始めた。
中学三年の時、小川監督と初めて会った。「監督も強豪校打倒に闘志を燃やすタイプだった。一緒にチームを強くしたい」。広陵か広島商への進学を勧める両親を説き伏せた。
一年から投打の主軸に座り、三年春に選抜出場に導いた。3連勝で準決勝にこまを進めた。優勝候補の智弁和歌山(和歌山)と対戦した。2点リードの八回、「悪夢」の一球に泣いた。
二死満塁のピンチでカウント2―2。内角いっぱいの直球は、「ボール」の判定。落胆を隠せず、連打を浴びて4失点。「あの球は絶対にストライクだった」。今でも悔しさをにじませる。
大会後、アジアジュニア選手権(フィリピン)の日本代表に選ばれた。全国レベルの選手とプレーし、「自分には、ここ一番での集中力が足りないと気付いたんです」。以前にも増して練習に打ち込んだ。
夏の甲子園は1、2回戦で1点差勝ち。3回戦でPL学園(大阪)と対戦した。「気持ちで負けたら終わり」。15安打を浴びたが、強気に内角を攻めた。
九回裏、1点差に迫られ、なお二死三塁。投球数は130球を超えていた。「これから試合開始という気持ちで投げた」。最後まで集中力を切らさず、強豪を倒す殊勲を挙げた。
準々決勝の福井商(福井)は「PL戦で体力を使い果たしていた」。終盤、直球を打ち込まれた。不完全燃焼に終わった投球を悔やみ、甲子園の土は持ち帰らなかった。
甲子園通算6勝。皮肉にもプロが目を付けたのは、甲子園で32打数10安打8打点を挙げた打撃。「下半身主導の投球フォームを養う訓練」として取り組んでいた。打者転向を勧める声も多かった。
日体大で通算18勝を挙げたが、ドラフト指名はなかった。四月に入社した東京ガスでも投手一筋を貫く。球速は130キロ中盤。体が硬く、持ち前のパワーを生かしきれていない。「精神面、技術面とも、まだまだ鍛えなければ」。不屈のチャレンジャー精神を持ち続ける。
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