中国新聞
2002/01/03
みんなの力 「心開いて」老夫婦巡回  
(2) 諭 す
 
戦火の10代「今大切に」

  少年たちの心にどう手を差し伸べるか―。島田さん夫妻は模索しながら夜回りを続ける(広島市中区のアリスガーデン)  

 夜の本通り商店街(広島市中区)。路上で飲み食いしていた「チーマー」の少年たちに、ゆっくり近づく。大きな目でじっと顔をのぞき込む。小さな声で「早う帰れ」。すると「なんなんや、このじいさん」。少年たちは一瞬たじろぎ、ばつが悪そうな表情になった。

 島田司朗さん(80)。少年たちへの声掛けを続ける「夜鶴の会」の会長だ。一九九八年十月に結成し、メンバーは地域の母親や高校教師たち約百四十人。暴走族の集会日に合わせ、毎月第三土曜日の夜、市中心部の商店街や袋町公園、アリスガーデンを歩く。

 夜回りには、妻の節子さん(74)がいつも一緒だ。他のメンバーは半数ずつが交代で出るが、夫妻はほぼ欠かさず参加する。検査入院した時も、司朗さんは「やることがありますけえ」と看護婦に外泊届を出し、街へ出た。

 集会で「旗持ち」をする少女に「あんたあ、なんで旗なんか持って、ずっと立っとかにゃいけんの?」。地べたに座り込む少年に「さえん顔じゃけど、悩みがあるん?」。未成熟な心の奥に問いかける。

 十人のうち八人は「プイッと横を向く」。「じいさんは帰りんさい」「(朝の)三時ごろには帰るけえ」「早う死ねえや」。からかいや悪態はしょっちゅうだ。

 「言葉をかけてくれたのは、おばあさんが初めて」。そう言ってくれた少年の悩みは「お金がない」だった。節子さんはその後、少年が暴力団とみられる男に金を手渡す現場を見た。「どうやってお金を作ったのか」。表情が曇る。

 地元で生まれ育った司朗さんは、十六歳で海軍に入った。日中戦争、太平洋戦争…。「若い兵隊の死に何度も遭遇した」。終戦で復員した時は二十代半ば。暴走族少年たちの世代を、戦地で過ごした。呉市出身の節子さんも、十代後半の思い出は海軍工廠(しょう)と防空ごうという。

 「生き残ったのだから少しでも社会のために」。夫妻は戦後、自転車店や貸しビル業を営みながら、民生委員や防犯組合員など地域活動に二人三脚で携わってきた。

 週末の夜、暴走族の集会拠点になるアリスガーデンは、司朗さん自身も建設の署名活動などに携わり、九四年に完成した。「若い人が集える広場を」。地域の思いを逆手に取るような皮肉な光景に、胸が痛む。

 心を開かない少年たちをどう救えばいいのか―。二人の人生経験をもってしても分からない。それでも、司朗さんは「継続は力」と信じる。節子さんも「今を大切にしてほしいんよ。流されちゃいけん」。自分たちが戦争で失った世代をいとおしみ、夜回りを続ける。

暴走族に関する情報、ご意見をお寄せください。
  ■ファクス 082(236)2321   ■電子メール shakai1@chugoku-np.co.jp


Menu Back Next