2002/02/20
広島市中心部の住民が立ち上がった「呼びかけ運動」。中区のアリスガーデンなどにたむろする暴走族少年は、取り囲んだ大勢の住民に対し、「なんで集まるんが悪いんや」と自らを正当化した。しかし、少年たちが標ぼうする「自由」の背後には、紛れもなく「面倒見」を介した暴力団の支配構造が控えている。 (暴走族取材班)
「取り締まりが厳しくて、暴走すれば捕まる。集会しか目立つチャンスがない」。暴走族のリーダー格の少年(17)はアリスガーデンに集まる目的を説明した。「やめてほしい」という住民の声には一定の理解を示しながら、集会をやめる気配はない。 一方、明確な目的意識を持って週末ごとに公園に集まる少年は、むしろ少ない。「集まるのは習慣。よそのメンバーと話しができて楽しいけえ、いいんじゃないの」と、他のグループのリーダー格の少年(17)。 広島県警のある捜査幹部は、補導記録などから「中心部の袋町公園などで暴走族がたむろし始めたのは、二十年くらい前から」とみる。 生徒指導に携わってきた安佐南区の長束中の高山英二教諭(47)は一九九〇年ごろ、アリスガーデンの前身の西新天地公共広場で暴走族に取り囲まれた。「ただ当時は、今のように複数のグループが組織だって集まってはいなかった」と振り返る。 袋町公園は三、四年前、暴走族が占拠していた。一方、アリスガーデンは、スケートボードを楽しむ若者たちと場所を分け合っていた。暴走族一色になったのは、その後のことである。 暴力団の元周辺者で面倒見だった男性が、数年間の記憶をたどる。「どれだけ人数を集めるか、組員の兄貴分に力を示すことだと思っていた」。さらに「上納金の集金日に集まりが悪いと、少年らをしかりつけることもあった」とも話す。 四十余りの暴走族グループがいくつかの連合体に分かれる。それぞれが「面倒見」を通じ、別々の暴力団組織の系列下にある。そんな土壌が、市街地の公園を占拠する広島特有の光景を生む背景としてうかがえる。 隠然たる暴力団の圧力もあって、少年たちは「決まりごと」のように公園へ集まるようになった、ともみられる。 「公園でのたむろ、集会と、暴力団による上納金システムなどの支配構造は連動している」。捜査幹部は問題の根深さを指摘した。
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