2002/03/30
息子が何を考えているのか、さっぱり分からなくなった。深夜、外で何をしているか知りたかった。途方に暮れた母(44)は、暴走族にのめり込む二男タツヤ(18)の行動を追う「日記」をつづり始めた。 リポート用紙に鉛筆で書き込んだ日記は五年前、タツヤが中学二年生だった夏の日付から始まる。たばこと万引で学校に呼び出された日だ。その後、クラブ活動や釣りなど、普通の中学生の生活記録に「夜遊び」「学校の早退」「髪を染めた」といった記述が影を差し始めている。 二年生の冬から、一日の書き込み量が増えた。タツヤは暴走族と付き合い始めていた。万引、バイク盗、恐喝…。相次いで補導された揚げ句、卒業直後には集団暴走と窃盗で逮捕された。「目が会うと涙が出てきて言葉にならない。タツヤも涙していました」。母は、鑑別所での初の面会日をそう書いた。 一家は会社員の父(48)の転勤の度に、住まいを移した。今の広島県西部のアパートに引っ越したのは、タツヤが小学六年生の時だ。「小学生で二度引っ越し、環境も友人関係も変わったのが悪かったのか…」と父。母は「すべてが原因とも思うし、そうじゃないとも思う。大学へ進学した兄と同じように育てたのに」と唇をかんだ。 乱れたタツヤの生活を克明に記録した日記。深夜、家を飛び出していく時間、たまり場になった部屋に集まる仲間の名は日替わりだ。朝、部屋をのぞき、見知らぬ少年がいればしつこく名を尋ねた。シンナーのにおいに、タツヤの寝息をかいで悪用しているかどうかを確めた。 「今日も帰ってこない」。たびたび記した一文の直前には、決まって父子の衝突があった。「家はホテルじゃない」「親より暴走族仲間の言うことを信じるのか」―。タツヤに厳しく接する父に対し、母は家での居場所をつくってやろうと努めた。「たまり場になるのはいやだったけど、家にいれば、まだ安心だった」 ファイルは日々、厚みを増した。「こんなことしてどうなる」。母は悔しさを飲み込み、書き続けた。日記以外、なすすべがなかった。連絡が取れない時に備え、調べた仲間の連絡先は延べ三百五十件を超えた。 外出先の様子をタツヤの仲間の親に尋ね回るうち、親同士のネットワークもできた。情報交換で少しだけ、気がまぎれた。 日記は、B5判のリポート用紙で三百ページ以上になった。記述は一年前、タツヤがひったくり事件などで少年院に入って以来、途切れた。 記述には、思いが伝わらぬ戸惑いと、母としての「甘さ」への自戒がにじむ。「あの子が立ち直った時、この日記を一緒に見たい。私らは見捨てていなかったし、これからもそう、と言ってやりたい」。母はファイルを閉じた。
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