中国新聞
2002/05/19
平和都市の忘れもの (2)
店変わり「コドモ」の街

大人復権へ呼びかけ運動

  通りの移ろい

 広島本通商店街振興組合の前理事長、原時彦さん(67)は二年前、父が終戦後開いた衣料店ののれんを下ろした。売り上げ減に病が重なり、やむなく決断した。店は今、携帯電話ショップに貸している。

 被爆から復興し、中四国一のにぎわいを見せる中区の本通り商店街。不況が襲うここ数年、軒を並べた地元のしにせは、次々と店を閉じている。代わりに東京発の携帯電話ショップやコンビニエンスストア、コーヒー店の真新しい看板が目立つようになった。

 長引く不況で、どこの地方都市も事情は重なる。「店が代わるのは時代の流れ」と原さんは思う。気になるのは、本通りをそぞろ歩く購買層の変わりようだ。店の趣きに合わせるように、人波はぐっと低年齢化した。「かつては身なりを整えた大人があふれていたのだが」

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 「『ママポリ(ス)が来た』と、子どもらは逃げたものです」。広島県警の元少年補導員鈴木松枝さん(72)は一九六三年に任官した当時を思い出す。

 補導活動の拠点は、やはり本通り周辺。「あのころ、声を掛ける子のほとんどが顔見知り。それも多くは『制帽をかぶりなさい』程度。たまり場になる喫茶店なども限られてました」。学齢期の少年たちがうろつくと、それだけで目立った。親も学校も、子が安易にかいわいへ出るのを戒めた。大人の街だった。

 「だけど十二年前に退職するころには、街をうろつく子どもの数がめっきり増えて」。たむろする少年、少女たちのスタイルもしゃがみ込みから、地面に座り込む「ジベタリアン」に移ろった。鈴木さんにはそうした風景が「街の荒れそのもの」と思える。

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 荒れは夜、加速する。「特攻服」姿の暴走族に加え、「チーマー」など非行グループが街をうろつき、閉じたシャッターの前などにたむろする。彼らが去った場所は、空き缶とたばこの吸い殻のはきだめになる。

 商店街や周辺の道路は、爆音を響かす改造車の「周回道路」と化す。猛スピードで走り、速度を落としては、通り掛かりの女性に声を掛ける。

 多くは十代。一部の二十代を含め、社会常識を持たない「コドモ」である。酒を飲んで騒ぎ、落書きやゴミで街を汚し、恐喝、傷害、強制わいせつなど事件、事故を起こす。いきおい、地元から住民の転出が相次いだ。

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 「平和都市広島の中心なのに」。原さんをはじめ商店主たちは危機感を抱いた。そして六年前、広島中央部地区環境保全対策協議会を発足、数十人で夜のパトロールを始めた。その動きは、二百〜三百人規模で暴走族少年に帰宅を促す現在の「呼びかけ運動」の源流になった。

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