2002/05/20
「町が壊れていく」。広島市安佐南区の佐東郷土史同好会代表、山下登さん(69)は不安になった。一九九〇年代の初め、バブル経済の余波で、佐東地区や周辺に商業施設などが集積し始めた時期である。 田園風景の中に、二十四時間眠らないカラオケ店やコンビニエンスストアなどが相次いで建った。終夜灯の下に少年たちがたむろし、マフラーを外した二輪車の爆音が鳴り響くようになった。「夜は近づけない場所が一気に増えました」 九八年、地区内の古川河川敷で、暴走族らの集団が会社員を襲い死なせた。区内の少年ら十一人が逮捕された。山下さんたちが恐れていた最悪の事態だった。 かつて「安佐郡」だった広島市北部の山あいの地域。戦後、広島の都市化は猛スピードで北進し、山を切り開いた。七〇年代以降、佐東町を含む旧四町を広島市が合併、八〇年の政令指定都市昇格に伴い、安佐南区は誕生した。 人口が郊外に膨らむドーナツ化現象が区を二十万人都市に成長させる中、集団暴行事件は起きた。その年、百八団体の住民約千二百人が「少年を育(はぐく)む安佐南区民の会」の設立に立ち上がった。 「育む会」の安・伴支部が地区内の中学、高校六校と定期的に開く意見交換会で、支部長の原田照美さん(68)はショックを受けた。自分が学んだ学校の後輩に多くの暴走族がいたのだ。「もっと早く、母校の荒れに気づけなかった自分を悔やんだ」。地域のつながりの薄さを実感した。 町内会とも協力し、運動会や盆踊りなどの地域行事に、新たに転入してきた若い世帯を積極的に誘い入れる。「便利さや発展を追求する流れは止まらない。だからこそ新旧の住民や世代がいかに共通のコミュニティー意識を持つかが課題」と原田さんは思う。 広島市の西隣の廿日市市に今月、夜回りに取り組む「大樹の会」が結成された。十一日夜の初のパトロールには百人近くが参加した。 参加団体の一つで、暴走族の離脱支援などを進める「おやじの会」の野村洋一さん(50)は言う。「不況で親は生活に必死。子どもに十分目が向いてない親も多いのでは」 だからこそ、顔も名前も知らない子どもを地域に増やしてはならない。子どもたちを「透明な存在」にしてはならない―。野村さんたちが「行動」を広げる理由だ。 十八日夜、「育む会」安・伴支部の十三人がアストラムラインの上安駅周辺をパトロールした。でも、声を掛ける相手である「地域の子」は見当たらなかった。 会の結成に合わせて夜回りを始めたころ、土曜夜の駅は、「特攻服」姿で市中心部での集会に向かう暴走族少年の「発進基地」と化していた。「子どもらと顔見知りになるにつれ、そうした光景は少なくなった」。原田さんたちは手応えを感じている。 「地域の目は百人の『校長』に勝る」。メンバーの「名言」を、支部のみんなで胸に刻んでいる。
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