2002/05/21
「ここ七、八年ぐらいかな。暴走族が目立ち始めたのは」。広島中央新天地振興組合会長の辻登さん(65)は、胡子大祭(えびす講)の変容をたどる。広島市の三大祭りの一つ、市街地の初冬の風物詩は、いつの間にか暴走族が勢力を誇示する場となった。 少年らは、えびす講を十八歳の年長メンバーの「引退式」と位置付ける。「特攻服」姿で市街地を練り歩き、歩行者天国の中央通りの人波を追いやるように円陣を組んだ。当初、商店主たちは半ば黙認した。「変わった風体の若い衆は祭りにつきもの」。でも、彼らは祭りを盛り上げる「若い衆」ではなかった。 それは三年前のえびす講で証明された。中央通りからの退去を命じた広島県警と衝突。市街戦のような映像は全国に流れ、えびす講、そして広島の名をおとしめた。県警は翌年から歩行者天国を廃止。昨年は、連日千百人の厳戒体制で警備に当たった。祭りは一変した。 えびす講は今年、毛利輝元の進出に伴い、広島県吉田町から中区胡町の現在地付近へ神社が移った、とされる「鎮座」から四百年を迎える。「祭りを一度も途切れさせていないのは自慢」と辻さんは言う。 だが、被爆を境に商店街の顔触れは大きく代わり、戦後は地域一丸となって祭りを盛り上げる熱気も薄れた。「伝統が一度断ち切られ、総じて昔ながらの行事に元気がない」。辻さんは原爆の影を見る。 大型店の郊外進出、価格破壊…。商圏の広がりも、冬物の買い出し客を当て込む「えびす講セール」の人気を衰えさせた。その商店街ではここ数年、不況で老舗が減った。祭りを支える街は空洞化し、そこに暴走族が勝手な「しきたり」を持ち込んだ。 杜(もり)の都、仙台市では八月、東北三大祭りの一つ「七夕まつり」が開かれる。市街地の会場には、毎年約二百万人の人出がある。 事務局のまつり協賛会は「暴走族が出るとか、出ないとか意識したことも、ほとんどない」。宮城県警交通指導課も「祭りに合わせた暴走行為はあっても、祭りを壊すことはない」 宮城県は暴走族の悪質化に耐えかね九九年、全国の都道府県で初めて暴走族根絶促進条例を制定した。しかし、祭りの伝統と市民の活気が「若い衆」と「暴走族」とをおのずと隔てる。 七月に南区の宇品港で開く「広島みなと祭」は、カッターレースが呼び物の一つだ。八人のチームが毎年数十組参加する。「お祭り騒ぎがしたいんなら、ここで力を試してみればいい」。レースの実行委事務局の新城勝次さん(58)は県警などを通じ、暴走族少年らに参加を呼び掛けている。 ロック調のソーラン節に乗って踊る「南中ソーラン」を少年たちに広める動きも市内の企業経営者たちの間で出ている。踊りは、祭りやイベントで披露する計画だ。 「若いエネルギーを取り込みたい」。えびす講の再生に向け、辻さんもそう願う。地域の祭りは「若い衆」に、担い手として門戸を開いている。もちろん、特攻服を脱ぐことが前提になる。
| ||||||||||