中国新聞
2002/05/23
平和都市の忘れもの (5)
あの時の歌は…学都遠く

街に若者文化の復活を

  群像

 「『街』にはめったに出ません。ここには、小さな社会がありますから」。広島大二年の三島淳さん(19)は、東広島市の大学から自転車で十分ほどのアパートに住む。広大生にとって「街」とは、広島市の中心部を指すという。

 アパートの近所に、書店もレンタルビデオ店もコンビニエンスストアもある。アルバイトを含め、用事はたいてい間に合う。実家は広島市中区だが、中心部へはたまに洋服を買いに行く程度だ。

 だから夜の街をたむろする暴走族の実態についても、さほど実感がない。「県外からの友達も含めそんなものです」。広島市から東広島市への広大移転が完了し七年。「街」は一万人を超える広大生のテリトリーではなくなりつつある。

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 「カレー450円 御飯は食べ放題」。看板の掛かったドアを入ると、背表紙の色あせた漫画本が壁を覆う。広島大東千田キャンパス(中区)の正門近くの喫茶店「びっぐのーず」は、学生街だったころと変わらないたたずまいを残す。

 「このテーブルを挟んで、学生たちと世界経済の話からデート場所の指南まで話し込んだものです」。経営者の山根進さん(52)は常連だった元学生たちの懇願で、細々と店を続ける。

 客足もさることながら、山根さんは街の変容にも寂しい思いを抱く。「政治的主張、大学祭のPR、芸術作品の発表など、ゲリラ的なパフォーマンスを見ることがなくなった」

 広島大に限らず、広島都市圏の大学の多くが郊外に立地する。「若者らしい文化が街なかに乏しくなったから、言葉も文化もない暴走族の『特攻服』が目立ってしまう」。山根さんは憂慮する。

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 広島大が学園紛争で揺れた三十年以上も前、この街には「広島フォーク村」と呼ばれる大学、高校生らの集団があった。一九六八年の開村。歌がつなぐ仲間は一時三百人を超え、吉田拓郎というヒーローも生んだ。

 中心メンバーだった西区の家具店社長井口喜典さん(52)は「髪が長いのも、エレキ(ギター)も『不良』に結び付けられた時代。私たちにも大人や社会への反発はあった」と振り返る。

 特攻服で街をかっ歩する暴走族に自らが重ならなくはない。ヒッピースタイルで本通りを歩き、白い目にさらされた。「目立ちたいんですよ。あの年ごろは」

 ただ、メッセージの手段として「詞とメロディー」と「暴走」とでは落差が大きい。「彼らが大人になった時に『あのころは良かった』と思えるかどうか…。将来、自分の選択の責任は取らなければいけない」。まなざしに、寛容と厳しさが入り交じる。

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 山根さんは喫茶店経営の傍ら、広島大跡地の活用を考えるサークル活動や、地域づくりのNPO活動などを続ける。跡地では九七年から「千田わっしょい祭」を開き、月一回開くフリーマーケットには百二十店が参加、毎回二万人を集める。

 東千田キャンパスの「夜間主コース」の学生たちも活動に加わる。「彼らが中心になって、もう一度街に活気を」。特攻服を圧倒するパワーの復活に期待している。

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