わが夢

2008/4/22
中村ブレイス社長
中村俊郎氏(1)
米国留学
義肢づくりの原点学ぶ
牛来社長


 義手、義足、コルセットなど医療用装具を世界二十カ国に送り出している中村ブレイス(大田市)。中村俊郎社長(60)は古里、大田市大森町で創業し、新素材開発などを弾みに、世界の「オンリーワン企業」に成長させた。創業時、若手だった社員がベテランになり、さらなる成長期に入ろうとする中、地域とともに歩んでいく姿勢を貫く。(河野揚)


 世界中の義肢装具メーカーで、シリコン製の義手や人工乳房を作っているのは当社だけ。約二十年前に九カ国の特許を取り、世界に進出することができた。世界で認められる製品を、ここ石見銀山から発信することが私の願いだった。国際的な考えを持つようになったのは、二十代の時の米国での経験があったからだ。

 titleicon最先端の現場訪ね歩く    

 私は一九四八年に大森町で生まれた。団塊世代で競争も激しい。大田高を卒業した時、人がやっていない仕事に就きたかった。姉に紹介された京都市の義肢装具会社の工場を見学したのが最初の出合い。「面白い仕事に出合わせてもらったな」というのが第一印象だった。

 働くうちに、もっと基礎から勉強したくなった。二十三歳の時、自分の貯金を全部使って、技術の最先端といわれる米国の会社や病院を訪ね歩いた。偶然にも江津市出身の親を持つオーナーに出会って、翌年から雇ってもらいながら留学ができた。うそのような夢物語。自分はなんと運の強い男だと思った。

  titleicon事故経験 起業に生かす

 当時の米国は治安が悪かった。ある夜、英会話学校に自転車で通っていると後ろからひき逃げされた。気が付くと、そこは霊安室のベッド。骨折で手も足も動かず、耳から血が出ていた。

 この経験は私の考えの基本になった。人間がどん底になった時、何をしてほしいか。経験した人にしか分からない願いがある。義肢装具づくりは「喜ばれる仕事」が原点。技術力と一緒に、優しさも売っている。つらい人の立場に立って、ものづくりをしなければならない。

 二年半でビザの延長ができなくなった。当初、米国のオーナーが日本に営業所を設けて、帰国後に私に任せてくれると言ってくれ、前途洋々と思った。でも石油危機による不況で、直前に白紙に戻った。よくあるうまい話だった。   

 故郷に一度帰った時、過疎化が激しい大森町で起業して、地域を勇気づけようと考えた。不安視する人もいたが、米国での経験と強い運、そして何よりも、やる気を持っていた。七四年十二月二十日、中村ブレイスは産声を上げた。

≪会社概要≫本社は大田市大森町。本社のほか、メディカルアート研究所(大森町)と東京事務所(東京)を持つ。1974年に創業し、従業員は65人。2007年9月期の売上高は7億6000万円。経常利益は8000万円。

【写真説明】中村ブレイス社長 中村俊郎氏


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