わが夢

2008/4/26
中村ブレイス社長
中村俊郎氏(5)
地域と成長
過疎に発奮 世界へ挑む
中村社長


 昨年六月二十八日。石見銀山遺跡(大田市)の世界遺産登録が決まった瞬間、全身の力が抜けた。その時、私は日本代表団としてニュージーランドの世界遺産委員会に参加していた。感激のあまり、頭が真っ白になった。
 銀山がある大森町はゴーストタウンとも言われた日本のへき地。今も人口はたった四百人あまり。私が子どものころ、大田市と合併して過疎化が激しくなり、警察署や官公庁がどんどんなくなった。
 父は元大森町役場の最後の収入役だった。私がまだ小さかったころから銀山やマルコポーロの話をしてくれた。この町をあきらめずに復活させてほしい、という思いを伝えたかったのかもしれない。
 銀のように付加価値がある物をこの町で作れたら「銀の再発見」になるのではないか。自信をなくしかけている地域に物を作る喜びをもたらしたい。そんな思いで、私は大森町で創業した。    


 titleicon民家など30施設を再生    

 町づくりにも協力してきた。私は古い民家など三十施設を買い取り、飲食店や社員寮にリニューアルした。

 一九九九年十一月、新聞で大田市の旧松江銀行本店が解体の危機という記事を読んだ時、私は新聞を手にしたまま大田市の職員に「私にください」と直談判した。それが大森町に移築した文化ホール「なかむら館」になった。昨年三月には博物館の石見銀山資料館(同)を建て替えた。事業費はその年の経常利益の半分に当たる約四千五百万円もかけた。

 行政に補助金をもらわず、利益を使って命がけで地域の再生をしている会社はあまりない。常識を打ち破らなければ地域の活性化はできない。

 本業での立地条件は決して有利ではなかった。大変な時は、場所のせいにしたくなることもあった。国内外の各地から工場建設の誘いがたくさんある。しかし逆に過疎地であることが、いい発奮材料になっている。ここからでも世界に製品を送り出せることを証明したかった。    

 義肢装具づくりは恵まれた分野ではなかった。むしろ観光や農業の方がチャンスは転がっていたと思う。非常に難しいチャレンジだった。奇跡的な体験も何度かあったが、やはり「石見銀山から世界へ」という、いちずな思いがあったからこそ認められるようになったと思う。    

 titleicon夢の実現まだ3―5%

 難しいと思う前に、可能性があれば岩をも砕く思いで一歩ずつぶち当たった。何でもやってみる勇気が必要。ただし一歩一歩、慌てず焦らないことが大切だ。

 私の夢は、まだ3―5%ほどしか実現できていない。だが私は六十歳を迎え、会社も転換期を迎えている。残りは次世代が挑戦していく。私はスポイトで一滴を落としただけ。経営をバトンタッチするのは意外に早いと思う。これからは長男たちが私とは違う視点で、楽しく夢のある会社にしてくれると信じている。(河野揚)

中村氏はこれで終わります。次回は五月に掲載します。

【写真説明】石見銀山資料館リニューアル式典でくす玉を割る中村社長(中央)=2007年3月


バックナンバー
TOPへ
ホーム社説天風録地域ニュースカープ情報サンフレ情報スポーツ情報全国・世界のニュース