わが夢

2007/7/24
エフピコ社長
小松安弘氏(1)
家族で夜なべ
万博機に小皿がヒット
エフピコ社長 小松安弘氏 ■簡易食品容器のトップメーカー、エフピコ(福山市)。ポリスチレンペーパー(PSP)の手動成型機一台で起業して四十五年。消費者やスーパー、問屋との連携で独自のリサイクルシステムを築き、北海道から九州に十二製造工場、六リサイクル工場、八配送センターを構える。創業者の小松安弘社長(70)は時代と食文化の変化を敏感につかみ、新しい価値の創造に挑み続ける。(伊藤敬子)  
titleicon米で流行の容器に着目

井原市に生まれた。子どものころは裏の小田川で泳いでばかり。四月から十月は潜って魚を捕った。夏はウナギ。姉がさばいてくれたな。長女、長男、二男がいて僕は四人きょうだいの末っ子。いつも真っ黒で勉強なんかせんです。やんちゃなガキ大将で仲間を引き連れていた。

 父が早く亡くなったので、十二歳年上の長兄は大学の途中で戻って祖父と商売を始めた。「いつか兄弟で商売をしよう。わしは思うように遊べなんだから、東京へ行け。遊びを知らにゃ、いざというとき駄目ぞ」と僕と次兄を日本大へ進学させてくれた。商売が順調だったこともあり、ぜいたくをさせてくれました。

 卒業したら帰るつもりだったが、「一度は他人の飯を食った方がいい」と東京豊田ヂーゼルに入社した。その秋には、学生時代に友人の紹介で知り合った啓子と結婚。二年間のサラリーマン生活を経て、妻の故郷である福山市へ戻った。

 何か新しいことをしたいと考えていたところ、知人が「米国で流行しとるらしい」とPSP製容器のサンプルを持って来た。当時の食品容器は木製だったので、衛生面やコストに将来性を感じた。機械も紹介するし、技術も教えるという。僕が東京へ出て一週間ほど習った。

titleicon売り込み方 現在も同じ

兄や妻の父、父の友人の出資で一九六二年に福山パール紙工を設立し、社長になった。二十四歳だった。うちの機械が日本で三台目くらい。PSPのロールを六十センチ四方に切って、動かないようガシャと挟んでヒーターに入れ、ブザーが鳴ったら引っ張り出す。成型した製品は家にも持ち帰り、はさみとカミソリで切り抜いた。世の中はどんどん景気がよくなり、どんどん売れた。母と妻と僕はいつも遅くまで夜なべをしていましたね。

 成型も営業も僕の仕事だった。初期のヒット商品は大阪万博で使った試食用の「菊皿」。花模様入りで、楕円(だえん)形の白い小皿を何百万個と売った。相手の要望を聞き、世の中にないものを作る。「実験してください」とサンプルを持ち込む売り込み方は、当時も今も全く同じです。

 ≪会社概要≫1989年から現社名。子会社29社を含むグループ従業員は2488人(2007年3月末)。07年3月期の連結売上高は1242億3300万円、当期利益45億1500万円。

【写真説明】エフピコ社長 小松安弘氏


 
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