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デルタに発展した広島にとって

「母なる川」である太田川。

標高1339メートルの冠山一帯の森を源流に、

中国山地を南東方向へ曲流を重ね、広島湾に注ぐ。

相次ぐ災害やコロナ禍で

自然の豊かさや脅威が再認識されるいま、

全長103キロの太田川と流域を訪ねて、

その恵みと営みを見詰める。

第2回【宇賀大橋】
長さ140メートル 板床の通学路
(広島市安佐北区)

「お帰り。さあ渡ろうね」。黄色い帽子の児童と愛犬連れの母親たちが、枕木のような木材を敷き詰めてある床板を踏みしめる。赤茶けた鉄製の手すりを冷たい風が吹き抜けていく。皆で歩を早めると、大きなつり橋が小刻みに揺れた。

山あいの広島市安佐北区安佐町久地。蛇行する太田川沿いに20世帯ほどが暮らす集落の名を冠した「宇賀大橋」が昨春から、約10年ぶりに通学路となった。地元の久地小が5キロ離れた飯室小に統合して児童はバス通学となり、朝夕、4人が対岸の国道まで行き来する。5年生の斉藤乙葉さん(11)は「冬の川は透き通っていてきれい」と笑顔を見せた。

宇賀地区は古くは林業で栄え、材木などを運ぶ拠点だった。川舟も行き交い、船宿が並んだという。市道である宇賀大橋は太田川に現在残る主な四つのつり橋のうち最も長い約140メートル。1953年に完成した。近くで育った福本五雄さん(78)は「昔は両岸をつなぐワイヤをたぐって舟で渡った」と懐かしむ。

戦後、太田川流域は人口が増え、地元の寄付もあって多くのつり橋が架けられた。車社会になると、鉄骨製に代わっていく。宇賀大橋は補修を重ねて元の姿を保ったが、JR可部線廃線で近くの小河内駅が閉鎖されるなどして役割は小さくなった。歩いて渡るのは主に子どもとお年寄りだ。

コンクリート製の主塔がそびえ、木床でも1トンまでの車は渡っていく独特の風景。大橋への愛着と地域の歴史を伝えようと、自治会と公民館が企画した町歩きは新型コロナウイルスによって取りやめた。橋の点検もする宇賀自治会の大田法隆会長(68)は「約70年、暮らしと川とともにあるつり橋。その役割を胸に刻んでほしい」と願う。

(写真と文・安部慶彦)

  • 宇賀大橋に積もった雪をシャベルで取り除く大田会長

  • 木製の床板だが、1㌧までの車両は通行できる

  • 帰り道に手をつないで歩く親子

  • 郵便局の赤い車も橋を渡って地域を巡る

  • 雪の舞う朝、子どもたちは足早に宇賀大橋を渡った

  • 右岸側の橋脚の周りは大きな岩場になっている

  • 宇賀大橋と山裾に並ぶ民家が川面に映り込んだ

  • 雪の朝、足跡の残るつり橋に朝日が差し込む

第1回【デルタの輝き】
水も電気も 暮らしの基盤

島々があかね色に包まれると、広島市街地は輝き始める。このデルタを生んだ太田川は6本に分かれて街中を縫い、瀬戸内海へ流れ込む。師走の夕刻、ヘリコプターから見渡すと、放射状に伸びる川筋が残照に浮かび上がった。暮らしと命を支える動脈に思えた。

恵みの最たるは水だ。田畑や集落を潤し、上水道は1899(明治32)年の給水開始以来、都市の生活と産業の基盤となった。現在は広島市をはじめ呉市や江田島市など島しょ部の計約155万人が享受する。

広島県西部の冠山(廿日市市吉和)一帯を源流とする1級河川。豊かな水量は中国地方で指折りの多雨に由来する。断層沿いから谷間を東へ曲流し、広島市北部で南へカーブ。延長は103キロに及ぶ。73もの支流を足すと流域面積は約1710平方キロと、県全体の2割を占めている。古くから農林業や船運、漁などの恩恵をもたらしてきた。

明治・大正期からは殖産や軍需を背景に電源開発が推し進められ、今も中国5県の水系で最多の15の水力発電所が稼働する。最大出力は計約83万キロワット。鳥取県の旭川と日野川水系の計約123万キロワットに次ぎ、5県全体の3割に当たる。戦後は大規模ダムも建設され、広島市や沿岸諸都市に電気を送る役割も持つ。

光輝く「水の都」は、400年前の毛利氏による築城から歴史を刻む。今は川沿いにカフェも並び、原爆ドーム前を遊覧船が行き交う。新型コロナウイルス禍で時は止まったようだが、川辺を散策する人の姿は増え、身近な川との距離が近づいて見える。河岸緑地で夏に初めて音楽の催しを企画した同市安佐南区の高田敬子さん(31)は「川の魅力で人がつながる。それが広島の良さです」と話す。

(写真と文・安部慶彦)

  • 広島湾上空から見た市街地のデルタ

  • 夕日に照らされて浮かび上がる広島市街地のデルタ

  • 源流域に広がる原生林

  • 廿日市市吉和の冠山山頂付近が太田川の源流となる

  • 冠山山頂一帯の太田川源流

  • 立岩ダム下部の太田川上流域

  • 中流でカーブを重ねる太田川

  • 中流で大小のカーブを重ねる太田川

  • 水力発電所や旧JR可部線高架が残る太田川中流域

  • 陽光に輝く太田川

プロローグ【再生のシンボル】
都市の浅瀬 命つなぐアユ

オレンジ色に体を染めた無数のアユが浅瀬を群れ泳ぐ。産卵を控えて警戒心は薄まるようで、レンズの前を平気で行き交う。11月上旬、広島市安佐南、安佐北両区にまたがる太田川下流域。両岸に住宅やマンションが並ぶ都市の川にアユ再生の兆しは確かにあった。

川と海をほぼ1年で行き来するアユ。太田川では9月下旬~11月上旬に下流で産卵して数日でふ化し、流れに任せて河口へ下る。海で育ち、翌春に川を上って力を蓄え、命をつなぐ。

「40年ほど前は産卵期にひと晩の漁で船が沈みそうになる日もあった」。近くの川漁師谷口正博さん(80)は懐かしむ。ここ数年、産卵のため川を下る落ちアユの魚影が濃くなり、さおを振る姿も増えたという。

アユ漁の浮沈は太田川の歩みと重なる。水系一帯には明治末期からの電源開発によるダムや堰(せき)が多く、戦後は広島湾の埋め立ても続いた。災害を防ぐ護岸のコンクリート化も進み、アユは減少の一途をたどった。

市は2014年、太田川漁協(安佐北区)や国、広島県とアユ再生に乗り出した。産卵場を整え、禁漁区域も広げた。同漁協の漁獲量は15年度、ピークの50分の1の6万7千匹にまで落ち込んだが、近年は回復。今季は下流に設けた産卵場周辺で推定約30万匹の親魚の大群を確認した。

「アユは太田川と広島湾の再生のシンボルだ」と同漁協の山中幸男組合長(74)。「ここ数年、春に堰の魚道をさかのぼる天然アユが増え、秋に産卵するサイクルができた。川と人が関わることで、アユ復活へ向かいつつある」と期待する。

(写真と文・安部慶彦)

  • アユを捕獲するミサゴ

  • 産卵場を整備する太田川漁協の組合員たち

  • アユをねらうカワウの大群

  • 太田川漁協の中間育成施設

  • アユの産卵場を調べる広島市の職員たち

  • 産卵場を整備する太田川漁協の組合員たち

  • 産卵場を整備する太田川漁協の組合員たち

  • カワウを追い払うため花火を打ち上げる太田川漁協の組合員

  • 太田川下流域の護岸周辺に集まったアユなど