広陵中に編入して弁論班に所属したころ ※二宮義人

 校則に反抗して県商(現広島商業高)を卒業前年の1939(昭和14)年に退学となり、長兄が実家で始めた養鶏を手掛ける日々が続いた

 兄は最新式の養鶏が名古屋にあると聞くと、出掛けては採り入れた。鶏舎にワラを敷き跳ねさせ、ヒナを産む施設も作った。もっとも兄が三篠信用組合(現広島信用金庫)へ出勤した後は、採卵は私の役目。1度に何百羽ものくちばしに刺されると痛くて思わず足でけってしまう。1週間に3羽は殺し、その鶏は食べました。