日本人初の宇宙飛行
2021年は、人類初の有人宇宙飛行成功から60年という節目の年です。
1961年4月12日、ソビエト連邦(今のロシア)が、1人の地球人を宇宙へ送り込みました。その人の名は、ユーリー・ガガーリン。彼は、宇宙船「ボストーク1号」に乗り込み、地球を1周して、2時間弱で戻ってきました。
当時のソビエト連邦は、宇宙開発においてトップを走っていて、1957年に人工衛星を宇宙に送ったのも世界で初めてでした。
さて、日本はというと、1950年代にロケット研究の産声が上がり、鉛筆より一回り大きいサイズのロケットを水平に飛ばして基礎データを取るという段階でした。1960年代に宇宙まで飛ぶロケットを開発しましたが、人間どころか人工衛星を搭載するまでにも至りませんでした。
日本が初の人工衛星「おおすみ」を宇宙へ送ったのは1970年のことです。その後は大きく飛躍し、天体観測や小惑星探査などの分野で世界のトップに並んでいます。
ここで素朴な疑問です。日本人で初めて宇宙へ行った人は誰か知っていますか。「毛利衛さん」という声を聞くことがあります。確かに、スペースシャトルでは初めてですが、日本人初は毛利さんではありません。1986年にスペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故があり、毛利さんが宇宙へ行く機会は大幅に遅れ、1992年になりました。
その彼より前に宇宙へ行った日本人は、東京のテレビ局TBSの記者、秋山豊寛さんです。事故がなければ、毛利さんの方が先に宇宙へ行っていたかもしれません。

秋山さんは1990年12月2日、宇宙特派員として、当時のソビエト連邦の宇宙船「ソユーズ」に乗って宇宙ステーション「ミール」へ行き、12月10日に地球へ戻ってきました。この間、宇宙でカエルの観察実験をしたり、ミールでの生活の様子をリポートしたりしました。まさしく宇宙特派員ですね。
皆さんの中からも、近い将来、宇宙特派員として活躍する人が出てくるかもしれませんね。
(5-Daysこども文化科学館主任学芸員・村上聡)
※2021年5月ちゅーピー子ども新聞掲載記事より