東京電力福島第1原発事故から11年。原発に依存しない社会の実現という国民の願いは薄らいでしまったのだろうか。

 脱原発の動きには今、逆風が吹いている。温暖化対策の名の下に、再稼働の必要性が、経済界などから声高に論じられるようになった。温室効果ガスを発電中は出さないので、相次ぎ休廃止された火力発電所の代替にふさわしいというわけだ。

 ロシアのウクライナ侵攻も影を落とす。日本は石炭輸入の禁止に踏み切った。世界ではエネルギー価格が高騰している。

 そんな中での参院選である。再稼働を積極的に進めるか。それとも、可能な限り依存度を下げていくか。物価高や景気、社会保障などの問題に隠れがちだが、重要な争点と言えよう。

 私たちの暮らしにも直接関わっている。折しも電力需給が首都圏で逼迫(ひっぱく)している。再稼働への賛否はもちろん、中長期的なエネルギー供給の在り方も含めて各政党の訴えを吟味したい。

 再稼働推進へ、まず政府が大きくかじを切った。今月閣議決定した経済財政運営の指針「骨太方針」から、昨年盛り込んだ「可能な限り(原子力への)依存度を低減する」との表現を消した。代わりに「原子力などの電源を最大限活用」とした。原発回帰とも取れる表現は、自民党も公約に取り入れている。

 日本維新の会と国民民主党は自民党より前のめりだ。いずれも再稼働推進にとどまらず、小型モジュール炉の研究開発や、次世代炉へのリプレース(建て替え)まで提唱している。

 自民党と連立を組む公明党や、野党第1党の立憲民主党、社民党は、再稼働を認めつつ依存度を減らしていく方針を示している。共産党と、れいわ新選組は即時ゼロを掲げている。

 昨年秋の衆院選の時より、再稼働に前向きな政党が明らかに増えた。福島の事故直後に比べ、国民の関心に変化が生じているのかもしれない。

 それでも、原発に対する不安が消え去ったわけではない。

 安全性を国は保証してくれない―。そんな不安感が広がっている。というのも福島の事故で最高裁が先日、「国に責任はない」との判断を示したからだ。

 安全確保を担う原子力規制委員会にも刃(やいば)が向けられる。時間をかけて慎重に審査する姿勢を批判する議員がいるが、効率優先で安全が守れるのだろうか。

 事業者への不信感も根強いままだ。原発のテロ防止対策が穴だらけだと規制委に指弾された東京電力や、断層の生データを書き換えていた疑いのある日本原子力発電など、不祥事が絶えない。危険な放射性物質を扱う自覚があるとは思えない。

 福島の事故を受け、万一のときに原発周辺の住民を救うための避難計画の作成が義務付けられた。しかし実際に計画通り動けるのか。疑問が残る。

 長年の課題も未解決だ。高レベル放射性廃棄物の処分地は、いまだ見通しが立っていない。こうした問題こそ先送りせず、解決を急ぐべきである。

 福島の事故が起きたのは、事業者が効率や経済性を優先するあまり、安全を軽んじた結果ではなかったか。規制すべき行政にも甘さがあった。事故の教訓を踏まえない原発回帰の危うさを、私たちは忘れないようにしなければならない。