※表紙の下にまんががあります。

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原爆と中国新聞社
1945年8月6日、人類史上初の原爆投下で、広島のまちは破壊し尽くされました。爆心地から東に約900メートルに位置した中国新聞社=広島市上流川町(中区胡町)=の旧本社は全焼し、本社員の3分の1に当たる114人が亡くなりました。
しかし、生き残った社員たちは自らの被爆や肉親を失った悲しみを押して、新聞発行の再開に取り組みます。壊滅的な打撃から立ち上がった中国新聞は、原爆の惨禍と被爆の実態を報じ、核兵器廃絶を訴える国内外の動きや声を世界に発信し続けています。
中国新聞社はことし、創刊130周年を迎えました。未来を担う子どもたちに、先人の不屈の精神を伝え、「あの日」は何を問いかけるのかを考えてもらいたい―との思いから、記録や手記をもとに、まんが「被爆地の新聞社」(全4編)を制作しています。うち1編を掲載します。
ウクライナへのロシア侵攻などで核兵器使用の恐れが高まる今、真に平和な世界の実現に向けて「被爆地の新聞社」を読み進めてもらえば幸いです。
▽まんがの内容
原爆投下時、広島県内で唯一出ていた中国新聞は本社が全焼し、発行できなくなりました。
朝日新聞、毎日新聞の両大阪本社や西部本社(福岡県)による代行印刷で、広島壊滅の3日後の8月9日付で中国新聞は再開します。

しかし、被災者の救援救護や食糧の配給など必須の情報はなく、それらを伝えるために、結成されたのが、自らも被爆した記者たちによる「口伝隊」です。焼け残った広島東警察署に置かれた臨時県庁を拠点に終戦まで活動します。
この漫画は口伝隊員を務めた八島ナツヱ記者(2006年に87歳で死去)の手記や当時の社員が残した記録をはじめさまざまな資料をもとにしたフィクションです。
▽主な登場人物

㊨報道部記者 大佐古一郎さん
原爆が投下された8月6日の広島市内に入り、直後からの惨状を書き留めました
㊥写真部記者 兼 中国軍管区司令部報道班員 松重美人さん
被爆直後の市民の惨状を唯一カメラに収めました
㊧理事 山本朗さん
原爆に次ぐ翌9月の枕崎台風―。繰り返される惨禍に屈することなく、社員たちとともに新聞の自力発行を目指します
原爆で本社が全焼した中国新聞社。生き残った記者たちはかつてない事態の中で、苦悩や怒り、葛藤を抱えながら取材を続けます。一方、疎開していた1台の輪転機で新聞の再発行を目指して奮闘する社員たちも…。八島ナツヱさん編を含めて全4編で構成するまんが「被爆地の新聞社」は年内に発行し、広島県内の小中高などに寄贈する予定です。ご期待ください。