亡くなった高野さん宅跡地で花を手向ける水越さん(左)と美恵子さん(撮影・山崎亮)

 最愛の家族を悼み、静かに手を合わせた。77人が犠牲になった広島土砂災害から3年がたった20日、遺族が土石流に見舞われた自宅跡や追悼会場を訪れ、故人に思いをはせた。

 ▽会いたい気持ちは3年たっても変わらぬ

 高野千津子さん=当時(60)=が亡くなった八木ケ丘団地(広島市安佐南区八木4丁目)の自宅跡。父古田源六さん(90)=安佐北区=と姉美恵子さん(65)=奈良市、美恵子さんの孫の大学2年水越桃華さん(20)=同=がキクを手向けた。

 千津子さんは災害の数日前まで奈良市を訪れていた。「もう少し奈良にいてくれていたら」。涙ぐみ、悔しさをにじませた。美恵子さんは別の花が供えられているのに気付き、「住民の皆さんの気遣いがありがたい。妹を忘れないで」と願った。

 「3年前もこのくらいのダムがあれば…」。宗畑浩さん(81)=岩国市=が妻秋子さん=当時(71)=を亡くした同団地の自宅跡で背後にそびえる砂防ダムを見上げた。月1回、自宅跡に通院を兼ねて足を運ぶ。「道中に妻との会話を思い出す。会いたい気持ちは、3年たっても変わらない」

 八木3丁目の阿武の里団地で広藤務さん=当時(48)=を失った父喜美徳さん(80)と母孝子さん(78)=安佐北区=も自宅跡をほぼ毎日訪れる。この日もろうそくをともし、手を合わせた。喜美徳さんは「悲しみが増すばかり。会って話がしたい」とつぶやいた。

 安佐北区で広島市と広島県が開いた追悼式には、八木3丁目で原田トシエさん=当時(75)=を失った夫の義明さん(86)が長男和行さん(53)たちと参列した。義明さんは遺族代表のあいさつを聞きながら「あの日」を思い起こした。「妻の名前を何度呼んでも返事がなかった。助けてやれなかったと思い続けてきた」。無念な気持ちが消えることはない。献花のために上がったステージではマイクに向かい「みんなで献花しに来たよ」と訴えた。

 追悼会場では、被災地で見つかった「思い出の品」の展示返却会に足を運ぶ遺族も。井上洋子さん(63)=萩市=は失った長女裕美さん=当時(36)=の遺品を求め、会場に並べられた品を一つ一つ確かめた。「娘の思い出が詰まったものは見つからなかった。一つでも手元に戻ってきてほしかった」と残念そうに話した。