福岡・田川東高3年生のころ(最後列左端)

 引き揚げから1年がたつ頃には鹿児島弁にも慣れて、学校では騎馬戦や、出回るようになった軟式ボールでわいわい過ごします。物おじしない性格もあったのでしょう。しかし何より、おふくろが、幼かった僕が父親がいないことで引け目を感じないように育ててくれた。母そめは明治29(1896)年生まれです。暮らしは、三井炭鉱(福岡県田川市の三井田川鉱業所)で働く兄貴たちの仕送りでやりくりしました。