優勝パレードで選手とともにファンに手を振る(2016年11月5日)

 プロ野球解説者の安仁屋宗八さん(72)=広島市中区=は1963年、広島東洋カープに入団した。沖縄高(現沖縄尚学高)のエースとして夏の甲子園に出場。社会人野球の琉球煙草(たばこ)でも活躍し、「沖縄の星」と期待を背負ってのプロ入りだった。通算119勝。うち巨人に34勝と「キラー」として鳴らし、ファンを喜ばせた。指導者を経て、今はマイクを通じて愛するカープを励まし続ける。カープOB会長も務めている。

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 昨年のカープの戦いは素晴らしかった。黒田(博樹)と若手が声を掛け合うようになり、厳しさの中にも和気あいあいとした雰囲気が出てきたのが一番よかった。優勝を決めた巨人戦(9月10日、東京ドーム)は球場でラジオ解説をしていて、勝利の瞬間はポロポロ涙が出てきた。言葉に詰まり何も言えなくなった。

 優勝パレードにも参加させてもらった。初優勝した1975年は阪神へ移籍していて仲間と味わえなかった。沿道の大勢の観衆を見て、優勝はいいもんだと実感した。私の名前も呼んでくれるファンもいてね。選手に負けていなかったのではないかな。今はOBであるとともにファンでもある。一ファンとしてカープを応援してきたかいがあった。

 2016年、カープの春季キャンプで臨時投手コーチを務めた。豊富な経験を生かした指導で25年ぶりのリーグ優勝に一役買った

 緒方(孝市)監督から要請があり、ありがたく引き受けた。最初のミーティングで伝えたのは一つ。「一日の始まりは笑顔であいさつ。それができれば、どんな苦しい練習でも乗り越えていける」。現役時代に心掛けていたことだ。当時の練習は今よりもはるかに厳しかったけど、きつさも和らいだものだ。

 カープがなかったなら今の私はない。選手、コーチ、解説者として半世紀以上、世話になっている。広島の人、土地も私に合ったのだろう。指導者になるとは思ってもみなかったので、引退したら沖縄に帰るつもりでいた。広島は第二の故郷というより第一の故郷。離れられない。(この連載は、運動部・川手寿志が担当します)