タイトル

 1945年8月6日を記録した元中国新聞社カメラマン松重美人さん(13~2005年)撮影のネガフィルム5点が、広島市の重要有形文化財に26日指定された。原爆に遭った人間の惨禍を当日に収めた唯一の写真ネガだ。ヒロシマの代表的な記録写真は、核兵器が再び使われたらどうなるのかを国内外に伝えてきた。未来にもつなげる活用が、さらに求められている。本社が生前に託されて所蔵するネガからの写真5枚をあらためて掲載する。撮影者の被爆直後の行動や思いを探り、「歴史の証言者」でもある原爆記録写真が持つ意味を考える。(西本雅実、水川恭輔)

爆心地から南東約2・2キロの御幸橋西詰め 爆心地から南東約2・2キロの御幸橋西詰め
手前の三角襟の女性は、広島女子商2年だった河内光子さん(当時13歳、2018年死去) 手前の三角襟の女性は、広島女子商2年だった河内光子さん(当時13歳、2018年死去)
爆心地から約2・7キロ、翠町(南区西翠町)の理髪店兼自宅 爆心地から約2・7キロ、翠町(南区西翠町)の理髪店兼自宅
理髪店兼自宅の窓向こう東側の光景 理髪店兼自宅の窓向こう東側の光景
爆心地から南東約2・3キロの広島地方専売局(皆実町)の前 爆心地から南東約2・3キロの広島地方専売局(皆実町)の前

涙でファインダーがくもっていた
松重美人さんの8月6日

松重美人さん

 「8月6日」朝、松重さんは広島城内にあった中国軍管区司令部での待機が明け、広島市翠町(南区西翠町)の自宅へ戻った。中国新聞社写真部員であり司令部報道班員でもあった。朝食を済ませて出勤する途中で急に便所へ行きたくなり、再び戻って被爆した。