運動部デスク日誌

サンフレを追いかけた同志

2021/2/27

 26日付の中国新聞セレクトに懐かしい顔を見つけた。連載ウエーブで紹介されていた「サンフレッチェ広島のオフィシャルマガジン編集長 中野和也さん」。サッカー担当だった2001年からの4年間、炎天下の日も、雨の日も、雪の日も、ともにチームを追った。いわば同志である。
 当時の話をすると、チームに張り付いていたのは、中国新聞の担当記者2人と中野さんの3人だけ。毎日のように吉田サッカー公園に通い、試合では全国を行脚した。チームは激動の時期だった。02年に初のJ2降格。翌03年に苦しんだ末にJ1復帰。喜び、怒り、悩み、そして涙した。記者人生の中でも、最も濃密な時間であったように感じる。
 思い出すのは03年シーズン。中盤から終盤にかけてチームは迷走し、J1復帰に黄信号が点滅していた。チームの惨状に目をつむってでも応援団でいるべきか、それとも建設的な批判をするべきか。コラムの立ち位置に悩んでいた頃、「思ったことを書けばいい」と背中を押してくれたのが中野さんだった。
 「試合後の会見で、監督に『周囲の雑音』とまで言われたが、『黒』を『白』とは書けない」―。10月の水戸戦で書いたこのコラムで、その後の私のコラムの立ち位置は決まった。「球炎」を含め、時の指揮官と対立することばかりだったが、振り返った今、後悔はない。紙面の中野さんの写真を見ながら、感謝の思いを強くした。
(小西晶)


  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

 あなたにおすすめの記事

記事一覧