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言ノ葉ノ箱
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短歌の里

2021/6/30

 先日、長野県塩尻市で講演をするために、久しぶりにJRの「あずさ」に乗った。「特急あずさ」といえば、昭和時代に狩人という兄弟デュオが歌った「あずさ2号」を思い出す人がいると思うが、私には頭にすぐに浮かぶ短歌がある。

泥ふたたび水のおもてに和(な)ぐころを迷うなよわが特急あずざ 
                     岡井隆

 1978年の「天河庭園集」に収録されている一首で、いったん一切の文学活動を断って九州に隠遁(いんとん)したのち文壇に復帰した、自分の人生の迷走を反映して詠まれた歌である。
 実は私はこの日、予定の「あずさ」に乗れず迷走してしまったのだが、なんとか別の「あずさ」で塩尻に到着し、講演会場の塩尻市北部交流センター「えんてらす」に向かった。新型コロナウイルス感染防止対策で、いつもの半分の50人に観客を絞っての会となった。今回の講演は「塩尻短歌大学」という短歌イベントの一環で、「多様化する現代短歌」と題をつけ、近代から今年出たばかりの歌集まで、時代と共に変化した短歌作品を読み解いた。
 「塩尻短歌大学」では、毎年歌人による講演や参加者の作品の講評を複数回行っている。また、「全国短歌フォーラムin塩尻」という全国規模の短歌大会も毎年開催されている。塩尻は、「短歌の里」を自認しているのである。

塩尻短歌館外観

塩尻短歌館外観

 こうした活動の拠点となっているのが、「塩尻短歌館」である。塩尻にゆかりのある太田水穂や島木赤彦、若山牧水、四賀光子らの歌人の揮毫(きごう)や生原稿、日用品など、多様な資料を展示している。太田水穂は長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市広丘)に生まれた。そして、水穂と長野県尋常師範学校(現・信州大学教育学部)で同級だった島木赤彦がその近辺で教鞭(きょうべん)を執ったのである。

ほつ峯を西に見さけてみすずかる科野のみちに吾ひとり立つ
                    太田水穂

 水穂の初期作品である。「科野(しなの)」は、信濃のかつての表記。「みすずかる」という信濃にかかる枕詞(まくらことば)を使って神秘性を増した故郷「科野」の道で、これからの人生を見据えた力強い一首である。

太田水穂や四賀光子らの揮毫

太田水穂や四賀光子らの揮毫

 また、学生も含む短歌フォーラムの入賞者の揮毫や、近現代の歌人の著書も閲覧できる。これから短歌を学ぼうとしている人にも資料が広く開放されている点は、歌人であると共に優れた教育者だった彼らも喜んでいることだろう。

塩尻短歌館の梁と壁

塩尻短歌館の梁と壁

 こうした資料を収める器として選ばれたのが、明治初期に建てられた、この地方独特の本棟造りの民家である。短歌館のある場所に移築されたもので、風味のある白い壁と焦げ茶色の柱のコントラストが美しい。頭上にどっしりと渡されている太い梁(はり)は、あえて少し曲がった木の形をそのまま生かし、湿度や気温での変化に備えて最初から罅(ひび)が入っているという。木と木を繋(つな)いでいるのは、木の杭(くい)。江戸時代に蓄積された技術に支えられ、150年以上生き長らえている建物なのである。人間が心を投影して作った短歌が、今日もしずかに梁の下で誰かを待っている。
                 (歌人・作家)

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