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猫の墓

2013/11/26

 東京都台東区に、谷中と呼ばれる地域がある。先日散歩をしていて、「山猫めをと塚」と彫られた大きな石塚に目が留まった。永久寺という寺の入り口にあるのだが、こんなに目立つ猫の墓は珍しい。

山猫めをと塚

山猫めをと塚

 すぐそばに、猫の顔が描かれた石碑と「仮名垣魯文(かながきろぶん)墓」の説明板があった。仮名垣魯文は、幕末・明治時代に「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋」など、文明開化期の世相を風刺した作品で一世を風靡(ふうび)した戯作者で新聞記者。「猫々道人(みょうみょうどうじん)」と異名を名乗るほどの猫好きで、「山猫めをと塚」は、魯文夫妻の飼い猫の供養塔だという。
 魯文は、今でいうコピーライターのような仕事をしたり、日本初の漫画雑誌を発行したりと、大衆文化の先駆者として人の世の営みを鋭く切り込んだ。一方で、家族の猫をかわいがり、楽しんだ様子が、力強い石塚の文字から浮かんでくる。

猫の顔の石碑

猫の顔の石碑

 この寺のすぐ近くに「朝倉彫塑館」がある。明治から昭和にかけて活躍した彫刻家の朝倉文夫が、かつて自宅兼アトリエとして使っていた建物が記念館となった。朝倉も大の猫好きで、自宅に十五、六匹の猫を飼っていたこともあるという。彫塑館の中には「猫の間」と呼ばれる部屋があり、眠る猫、獲物を狙う猫、人間の手につり下げられる猫など、生き生きした姿を写した作品が展示されている。
 彼らが生きていた時代、今よりもずっとたくさんの猫が、往来にも、家々にも、自由に戯れていたのではないかと推測する。

朝倉彫塑館

朝倉彫塑館

 彫塑館には屋上庭園があり、朝倉はそこで園芸も楽しんだそうだ。その庭園に背を向ける、1体の彫刻がある。帽子をかぶった少年のようだが、顔は屋上の外側にあり、見えない。彫塑館の門を出た辺りで見上げてやっとその正面を見ることができた。さまざまな遊び心のある建物なのである。
 同じ明治16(1883)年生まれで、彫刻家としてともに活躍した高村光太郎も近くに住み、与謝野鉄幹の新詩社が発行した「明星」に短歌や詩を発表している。

 はだか身のやもりのからだ透きとほり窓のがらすに月かたぶきぬ    高村光太郎

 ガラス窓にぴたりと張り付く夜のやもりの白い身体が、月の光の下で透き通っているように見えた。野生の命の神秘を詠んだこの歌は、人間の「はだか身」の美しさを立体的に表現する彫刻家ならではの視点でもあると思う。

 生きの身のきたなきところどこにもなく乾きてかろきこの油蝉            同

 機械のようなアブラゼミの身体の特徴をよく捉えた歌である。見つめる対象に敬意を払い、丁寧に描写する姿勢は、筋肉の動きや布の流れを力強く表現した塑像や、心を病んだ妻の智恵子を描いた詩「智恵子抄」にも共通する。
 ところで、猫好きの夏目漱石もこのかいわいに住んでいたことがあり、こんな俳句を残している。
 
 ちらちらと陽炎立ちぬ猫の                            夏目漱石

(歌人・作家)

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