運動部デスク日誌

「上野の五輪」だったのか

2021/7/28

 2008年8月21日。北京五輪ソフトボール決勝を、私は旧広島市民球場の記者席にある液晶テレビで見ていた。目の前では、広島―阪神戦が繰り広げられていたが、視線はテレビにくぎ付けとなった。日本の金メダルが決まった瞬間、記者席で沸き起こった歓声と拍手。リアルタイムの感動に震えながら、その光景を「球炎」の書き出しに使った。

 あれから13年。五輪競技に復活したソフトボール決勝は、北京と同じ「日本―米国」。マウンドには上野由岐子。独特の緊張感の中、試合が始まる。広島―日本ハムのエキシビションマッチの経過をテレビで確認しながら、隣のテレビに映る日本と米国の激闘に目を奪われていった。2点リードで迎えた六回裏のピンチ。上野からマウンドを引き継いだ後藤が米国の反撃を封じる。あと1回。

 だが、最終回の七回。その興奮は「えっ」という違和感に変わった。マウンドには後藤ではなく、再び上野が上がったからだ。最後の瞬間、上野をマウンドに立たせたい。宇津木監督の意図は容易に分かった。ただ、どうだろう。北京は上野の力で勝ったかもしれない。しかし、今大会は後藤なしに、日本は決勝の舞台に立てただろうか。それだけではない。北京よりもスケールアップした野手陣の貢献も大きかった。この五輪は「上野の上野による上野の五輪」ではなかったはずである。

 北京での金メダルは、筋書きのないドラマだった。しかし、今夜は宇津木監督がドラマの筋書きを書いた。上野のこの13年間を思い、「いいエンディングになった」と感動するのも、もちろん分かる。しかし、私はマウンドの20歳後藤に駆け寄る39歳上野の姿が見たかった。(小西晶)

#東京五輪・パラ


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