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パリと与謝野晶子
昨年の年末に、フランス国立東洋言語文化研究所の、日本文化についてのシンポジウムに招かれて、フランスを訪ねた。工夫をこらしたクリスマスの装飾が美しいパリの街を歩きながら、100年前にこの地を踏んだ与謝野晶子のことを思い出していた。
ああ皐月仏蘭西(さつきフランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟
与謝野晶子
物売にわれもならまし初夏のシヤンゼリゼエの青き木(こ)のもと 同
前年の秋から滞在していた夫の与謝野鉄幹のあとを追って、晶子がシベリア鉄道でパリに向かったのは、5月のこと。久しぶりに会った鉄幹と、初夏の陽光に耀(かがや)く雛罌粟(ひなげし)の咲く丘を眺めたり、気持ちのよい風を受けながらシャンゼリゼ通りを歩く心の高揚が伝わってくるようである。1首目など、すでに7人の子の母親であることなどすっかり忘れさせる熱愛ぶりである。
晶子はこのあと、イギリス、ベルギー、ウィーン、オランダなどを訪ねたのち、その年の9月に帰国の途につく。一年の中でもエネルギーに満ちあふれた季節の滞在で、冬のヨーロッパは経験していない。日照時間が短く、足元からしんしん冷えるパリの街を歩きながら、晶子がもし今いたら、この冬の寒さをどう詠んだだろうか、と思う。
ひんがしのはなれ小島(をじま)に子をおきて泣く女ゆゑさむき船かな
同
何(いづ)れぞや我かたはらに子の無きと子のかたはらに母のあらぬと
同
鉄幹と恋人同士に戻ったような歌も詠みつつ、この2首のように、子どもたちを思い出しては後ろめたさを感じた歌も残している。
一方、ヨーロッパの子どもたちを生き生きと詠んだ歌もある。
歌うたひ舞ふ少女(をとめ)をば石壁にわななきうつす蝋(らふ)の燭(しよく)かな 同
翅(はね)ある子日曜の日はあまた居ぬリユクサンプルの花の小みちに 同
この後晶子は、遅れて帰国した鉄幹とともに、文化学院設立に尽力することになる。パリの女性や少女たちの、華やかで行動的で知的な様子を眺め、日本の女子教育の重要性に気付いたことが、こうした教育活動の動機としてあったようだ。
私は、滞在中一度だけ訪れた日曜日に、ノートルダム大聖堂のミサに行った。厳かに祈りと賛美歌をささげたのち、神父さまの前に並んで一人ひとり小さなパンをもらっている様子は、老若男女がみな平等に、ひととき小さな子どもにかえったようだった。
寺院の近くでは、日曜日だけの小鳥市が開かれていて、色とりどりの小鳥たちが売られていた。幼い双子の姉妹が、たくさんのセキセイインコが入っている大きな鳥籠の前で、指をくるくると回して遊んでいる。マカロンのようなカラフルな色の衣服を身につけた彼女たち自身が小鳥のようで、まさに「翅ある子」たちだと思った。
(歌人・作家)
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