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言ノ葉ノ箱
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京都の桜

2014/5/2

 4月のはじめ、桜の咲きほこる京都に出掛けた。あいにく「花冷え」の言葉通り、冬に逆戻りしたようなひんやりした風が吹き、空からはぱらぱらとつめたい小糠(こぬか)雨が降ってきたが、やさしい色の花々は不満ひとつ口にすることなくしずかに空に花弁を広げていた。

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり                      岡本かの子

 かの子が「生命」をかけて見つめた桜は、かの子の「生命」がほろんだあとも生き続けただろう。物を言わず、移動することができない不自由さとひきかえに長い命を得た桜は、一年に一度思い切り華やかさを誇示することを楽しみに生きているのではないかと思う。

さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり                              馬場あき子

京都府立植物園の桜

京都府立植物園の桜

 鴨川をはじめ、京都の町には縦横に水が流れている。川沿いには、ソメイヨシノの木が立ち並び、流れる川へとはらはらと薄桃色の花弁を落としていた。長い命を生きるといっても、桜の木も永遠に生きるわけではない。長い年月のうちにゆっくりと老いていくのである。現実の水流を、そのかすかな音とともに眺めつつ、桜の木の内側を流れる水のことも思う。
 この歌の「身」は桜そのもの、見つめる主体、そしてこの世界に生きるすべての、水をたたえる「身」のことを指しているのだろう。
 春の京都は、こうした桜の咲く世界を愛(め)でる人々であふれかえっていた。

インクラインの桜

インクラインの桜

 川のすぐそばの小高い丘に、インクラインと呼ばれる場所がある。川から船や荷物を引き上げるためのレールが敷かれている施設のことである。現在は、そうした作業には使われておらず、残されたレールに寄りそうように植えられたたくさんの桜が、レールの間の敷石や草原に花びらを惜しみなく落としていた。

草の原つらぬくレール花を置く海へゆけない船のかわりに                                東直子

 どこまでも続くように見えるレールの間で、花嫁と花婿が写真を撮っているところにも遭遇して驚いた。最近は、満開の桜とともに特別な記念写真を撮ることが流行(はや)っているらしい。
 あっという間に咲き満ちて、あっという間に散っていく桜の花は、あっという間に過ぎていく人生の楽しい時間を封じ込める場としてふさわしいのかもしれない。

夜の祇園

夜の祇園

清水(きよみづ)へ祇園(ぎをん)をよぎる桜月夜(さくらづきよ)こよひ逢(あ)ふ人みなうつくしき      与謝野晶子

 花盛りの夜の祇園を歩いた。雨も降って肌寒い夜だったが、芽吹きはじめた柳の木と桜花を照らす雅(みやび)な光に寄せられるように、人々が傘を差してそぞろ歩きを楽しんでいた。
 百年以上前に晶子が感じたように、この夜に擦れ違う人もみな、とても美しかった。
        (歌人・作家)

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