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言ノ葉ノ箱
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鉱山の町

2014/5/27

 子どもの頃に住んでいた団地の裏の塀の向こう側に、洋館があった。塀をよじのぼって眺めると、広い庭には草が生い茂り、ゆがんだ窓枠の隙間から暗い室内が見えた。子どもたちはみなその洋館のことを「おばけ屋敷」と呼んでいた。
 ときどき数人で塀を乗り越えて侵入し、肝試しをした。ギギギギ、と音を立ててドアを開けて屋内に入っていくときの鼓動の高まりが忘れられない。
 そんな原体験があるためか、今でも廃虚と呼ばれる場所に強く心惹(ひ)かれてしまう。私の初めての小説集『長崎くんの指』は、廃園になってしまう郊外の遊園地が舞台となっている。廃虚には、かつてにぎやかに人が行き交った時代の物語が永遠に封じ込められている気がするのだ。
 そんな廃虚好きな人は私だけでなく、廃虚を撮影した写真集もよく売れているという。
 先日、俳人で松山市出身の神野紗希さんに、四国に「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるすてきな廃虚があることを教えていただいた。廃虚好きの俳人、詩人、小説家、歌人ら女性6人が意気投合し、愛媛県新居浜市にある別子銅山を訪ねた。

変電所施設内部

変電所施設内部

 江戸時代から銅が採掘されてきたこの山は、明治に入って本格的な開さくが行われた。昭和43年に閉山となるまでに、その坑道は全長700キロメートル、最新部は海抜マイナス千メートルに及んだ。日本では、もっとも深く掘られた穴なのである。
 ここで仕事をする炭鉱作業員らが妻子を伴って鉱山で暮らすために、住宅や学校、病院なども建てられ、山の上で不自由なく暮らせるように町がつくられた。東平(とうなる)と呼ばれた地域では、豊かな緑に覆われた美しい山の間から、その名残を見ることができる。
 まだ鉄筋コンクリートの技術がなかった明治時代の建築物は、赤茶色の煉瓦(れんが)を積み上げたものばかりで、100年の風雪にさらされ、独特の風味を醸し出している。この美しさが、廃虚に惹かれるゆえんである。

索道停車場跡に芽吹いた木

索道停車場跡に芽吹いた木

 地中の銅は掘りつくされ、集っていた人々も散り散りになった。去っていった人のかわりに植物が根や葉を広げ、残された人工物のまわりで物も言わずに成長を続けている。
 山の上の町には、演劇などが上演できる娯楽施設もつくられたが、酒場はつくられることがなかったという。鉱山で働いて疲れた身体は、妻子の待つ自宅に直行し、家族のだんらんで癒やされるシステムになっていたようだ。山の上の、健全なユートピアだったのだなあ、と思う。

保育園跡

保育園跡

  「保育園跡」という看板が立つ場所に、セメントで固められた楕円(だえん)形の小さなプールがあった。この山の上の町で生まれた子が夏になるとぱしゃぱしゃと水を飛ばしながら遊んだのだろう。40年以上の歳月が流れて、プールはすっかり苔(こけ)むしている。山にいた子どもたちは、今どこで、何を思っているだろう。
 こんなふうに時間を止めた町や村は、世界中のありとあらゆる場所にある。

冴えとほる断面(こぐち)をみれば古代よりはがねは
悲しく歴史に沁めり              香川進
                      (歌人・作家)

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