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言ノ葉ノ箱
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手乗りの小鳥

2014/10/1

 高校生のときに、白文鳥をしばらく飼っていたことがある。叔母が飼っていた白文鳥を、里帰り出産をする際にわが家で預かることになったのである。そのまま、生まれた子どもが幼稚園に行くようになるころまで預かっていた。文鳥は、幼鳥のころに人間と信頼関係を築ければ、手や肩に乗ってきてくれる、はずなのだが、その白文鳥の、シロ、というシンプルな名前を呼んでも振り返ることはなく、最後まで人の手に乗ってきてくれることはなかった。

テーブルで遊ぶ桜文鳥(筆者撮影)

テーブルで遊ぶ桜文鳥(筆者撮影)

 確か、偶然家の中に迷いこんできた鳥だったと叔母が言っていた気がする。どこかで飼われていた白文鳥が叔母の家に迷いこみ、私の家に数年いたのだ。そこに至るまでに、文鳥なりに苦労もあっただろう。じっと目を閉じていることの多い、おとなしい鳥で、ときどき思い出したように涼やかに鳴いた。

初秋の文鳥こくっと首を折る 棺に入れる眼鏡をみが
く                    東直子

 そのときの様子を思い出しながら作った歌である。文鳥はなにを見ていたのだろう。首を曲げるとき、ゆっくりと動くのではなく、映画のこま落としのようにすばやく動いて止まる独特の仕草(しぐさ)をした。

桜文鳥(手のり)

桜文鳥(手のり)

 シロを飼っていたころに、祖父が他界した。この歌は、1996年に第7回歌壇賞を受賞した連作「草かんむりの訪問者」三十首の中の一首である。連作は、少女時代から30代に至るまでのさまざまな人の生と死の記憶を辿(たど)りながら詠んだものである。

 先日、友人と一緒に、手乗り文鳥のいるカフェを訪ねた。東京の中央線の西荻窪という駅にある、その名も「ことりや」という名前のカフェで、桜文鳥と姫うずらが迎えてくれた。ふだんはそれぞれ籠の中に入っているのだが、夜8時を過ぎると放鳥タイムが始まり、桜文鳥がお店の中に放たれた。籠から開放された桜文鳥たちは客の頭上をすばやく飛び回り、やがてちょこん、と手に乗ってくる。と思うとすぐにパタパタと飛び去る。と、またすばやく戻ってきて、頭の上に止まった。

姫うずら

姫うずら

 姫うずらは、お店の人がそっと籠の中からてのひらで包むように持ち上げて、手から手へ、直接わたしてくれる。ちょうど両手でやわらかく包めるほどの大きさの姫うずらは、手の中でかすかに震えながらじっとしていて、心地よくあたたかかった。

刑死待つ身が愛(いと)しめば児の如く
文鳥掌(て)より頭(づ)にのり遊ぶ    島秋人

 まさに小鳥カフェにいるような様子の歌だが、この歌の作者は、死刑が確定した受刑者である。1960年に判決が下されてから執行されるまでの7年間、短歌を作って新聞に投稿した。死刑執行により、33歳の若さで命を落とした作者は、生涯持つことのできなかった幻の子どもを、文鳥に見た。
 人になれた鳥は、人を差別しない。自分に信頼を寄せてくれる鳥が、心底うれしかったのだろう。           
                 (歌人・作家)

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