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言ノ葉ノ箱
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連なり、生まれる

2014/11/28

 先日、静岡県三島市に連泊し、「しずおか連詩の会」に参加した。「連詩」というのは、詩人の大岡信さんが提唱した詩の形式で、短い詩をリレー形式で連ねて作成する、複数の作者による詩作品のことである。大岡さんが三島市出身であることから、毎年静岡県で開かれている。
 当初は大岡さんが監修されていたのだが、近年はその意志を受け継ぐ形で詩人の野村喜和夫さんが連詩を捌(さば)いている。

富士山と大岡信ことば館(水色の壁の建物)=筆者撮影

富士山と大岡信ことば館(水色の壁の建物)=筆者撮影

 今回の参加詩人は、野村さん、覚和歌子さん、木下弦二さん、大岡亜紀さんと私である。覚さんは、「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度でも」の作詞者で、シンガー・ソングライターとしても活躍していて、木下さんもミュージシャンである。大岡亜紀さんは大岡信さんのご長女で画家でもある。私は歌人だが、小説も書く。さまざまなジャンルで活動するわれわれ5人が3日間同じ部屋に集まり、互いの詩作品に触発されながら詩を紡いでいったのだった。
 この会の連詩は、五行と三行の詩を交互に繋ぎ、各人が同じボリュームになり、組み合わせも均等になるように配慮された順番表に従って進められ、最終的に40編の詩で完成される。
 詩の形式は西洋からもたらされたものだが、連詩が掲げる、座を共有して詩の言葉を生み出す方法の根本には、日本に古くから受け継がれてきた連歌(連句)の精神がある。
 江戸時代、松尾芭蕉らが熱中した連句には、場を設けてくれた土地や人への感謝の気持ちと、季節を慈しむ感覚が込められた。私もその心を生かした作品作りをしたいと思いながら連詩に挑んだのだった。

パラレル連詩

パラレル連詩

 連詩を考えている間、私たちをつなぐものは、言葉だけになる。これまでどのような生き方をして、どんな仕事を残し、どんな容姿であるか、年齢か、といった、その人をとりまくさまざまな概念から自由になって、魂のみで関わることのできた3日間となった。即詠などで数時間同じテーマで歌を作る場などを共有したことはあったが、3日間も連続で一つの作品を作るために集中して集まったのは初めての経験だった。とても刺激的で、希有な体験だったと思う。
 他の人が苦吟している間は、「パラレル連詩」と名づけられた用紙を、絵や言葉で埋めていった。主に抽象画を描いてこられた大岡亜紀さんが、白い大きな紙のボードにうつくしい色を載せ、そこにめいめい連詩のフレーズや三島で見聞したもの等を言葉や絵で表現していった。野村さんは、連詩の一連目の覚さんの詩から取ってきたタイトル「光の館」の文字を指で書いた。私は、野村さんがタコが出現する詩を書いたことに因み、水彩で大だこを描いた。

鴨の脚まで見える透明な三島の川

鴨の脚まで見える透明な三島の川

音が止み、布がひるがえる
神様の瞳から汲み上げたうつくしい水を
それぞれのてのひらでうけとめる
                東直子

 連詩の最後に作った三行の詩である。3日間詩の座を共にした詩人たちへの、そして富士の麓を流れる清らかな水を抱く三島という土地への敬意を込めた。
                 (歌人・作家)

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