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祈りの色
先月末、京都を訪ねた。ちょうど紅葉のさかりで、うつくしい色を重ねる木々にすっかり魅了されてしまった。嵯峨野にある二尊院では、参道の坂と階段の両脇の楓(かえで)の赤やオレンジや黄色の葉が、降雨の後の曇り空の下、それぞれの色の濃さを増していた。暖色が、グラデーションをなす世界に全身で漬かっているような感覚になり、こんな歌を作った。
あたたかい色をとかした湯の中へ足踏み入れるごとく
潜りぬ 東直子
晩秋の京都の気温は低かったが、目から受けとる世界の温度はあたたかい。
散り落ちた紅葉に染まる参道を上りきって寺院の門をくぐり、振り返ると、ちょうど門の四角い空間が額縁のようになって、色合いの異なる紅葉の世界を切り取っている。おそらく木々が絵画のように見えるよう、計算して設計されているのだろう。自然の姿を生かしてその美しさを堪能する先達の、粋な技である。
二尊院の名は、本尊の二体の如来像に由来する。二人の仏様の目の高さからも、季節によって移ろっていく絵のような景色が見えることだろう。
お祈りを済ませてふたたび参道の階段を降りていくとき、足の裏で落ち葉が音を立てた。
階段にこぼれてつもる落葉の、オカエリナサイ、
サヨナラ、と鳴る 同
寺院は、祈るための場所である。本尊の正面で人々が抱えているものを、そっと心の中でつぶやく。寺院は黙ってそれを受け入れる。そう思うと、階段につもっている落ち葉もなんらかの思いがたまっているような気がする。
本尊に続く階段とは別の、楓の赤い葉が絨毯(じゅうたん)のように散り敷かれた石の階段を上っていくと、京の町が見わたせる小高い場所にたどり着く。ここは二尊院の背後にこんもりとそびえる小倉山で、藤原定家が小倉百人一首を選んだといわれる時雨亭跡がある。二本の大きな杉の木の立つその場所に座り、定家が熱心に読み解き、暗唱したであろう和歌の響きを身体の中に響かせた。
小倉山峰の紅葉葉心あらばいまひとたびのみゆき
待たなむ 貞信公
二尊院の北に位置する愛宕念仏寺には、昭和56(1981)年から10年かけて作られた羅漢像1200体が、味わい深い表情で鎮座している。一般の参拝者がそれぞれの思いをこめて彫り上げたもので、仲の良い夫婦を示すような、二体がぴったりと身を寄せた羅漢像もあれば、耳にイヤホンを入れていたり、テニスラケットを持っていたりと現代的な素材な羅漢像もあった。いずれも背中に制作者の名が刻まれていた。
歳月を経てすっかり苔生(こけむ)した羅漢像に、風にあおられた紅葉がひとしきり散りかかっていた。
花の散るように雪の降るように紅葉を落とす
京の奥山 東直子
(歌人・作家)
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