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春に想う
東日本大震災から4年の月日がたった。また今年は、阪神大震災、そして地下鉄サリン事件から20年にあたる。これらの忘れ難い出来事は1月から3月にかけて起こった。春という芽吹きの季節は、命についてより深く考えさせられる季節でもある。
今月、東京都目黒区にある日本近代文学館で、「3・11 文学館からのメッセージ ―震災を書く―」という詩人と歌人による直筆の書による自作品の特別展があり、私も参加した。
海はこわい家うばわれた少年はそれでも海は好きだと言った
東直子
雨のしずまり土のしずまり昼下がりに生まれた娘しんしん眠る
同
1首目は震災直後に被害にあった少年のインタビューを見て作ったもので、2首目は余震の続く大地の安定を願って「しずむ」という言葉を繰り返し用いて作ったものである。揮毫(きごう)の依頼をきっかけに作った短歌を読み返し、当時のことを思い出していた。普段は短歌を作ったときの細かい状況は忘れていることが多いが、この2首に関しては、作ったときの心の状態や動きが今でも鮮明に思い出せる。
あのとき、被害の甚大さの前に誰もが言葉を失うばかりでなく、「不謹慎」という一語の下に発言を封じ込めようとしていた風潮があった。原発事故の影響で行われた計画停電や節電によって薄暗くなった余震の続く街では、花見などの行事はほとんど中止された。そんな空気感も、歌を読み返すことで解凍されるようにまざまざと思い出したのだった。
つめたい春の風が吹く中見にいった展示で、次の一首が心に留まった。
こんばんはくわいらんばんですさう言つて原発事故を置いていつた神
高野公彦
原発事故は、神様が置いていった「くわいらんばん(回覧板)」であるというこの歌は、人間の文明に対する、詩人としての批評眼がある。原発事故は、言葉ではないメッセージとして神に「考えなさい」とつきつけられた課題なのだ。おろおろしているうちに、いつかまた別の形で回されてきてしまうのだろう。
「3・11 文学館からのメッセージ」は、全国の文学館が参加する共同展示の一つで、岩手の詩歌文学館や山口の中原中也記念館など、26の文学館が参加している。今回が3回目である。関東大震災や阪神大震災など、さまざまなテーマで災害を考える機会となった。
考えても、考えても、答えは出ないかもしれない。しかし、考えることを放棄してはいけないのだと思う。
それでも朝は来ることをやめぬ泥の乾(ひ)るひとつひとつの入り江の奥に
梶原さい子
梶原さんは宮城県出身で、実家が津波の被害に遭った。「朝」という希望の時間を待つ「ひとつひとつの入り江」に、ひとりひとりの命がつながっている。
(歌人・作家)
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