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言ノ葉ノ箱
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花の雨

2015/5/1

 今年の4月から、早稲田大文学学術院の客員教授として教壇に立つことになった。短歌を中心とした短詩型の歴史と表現方法や、小説の実作指導などの授業を行っていく予定である。
 私が学生だった、昭和時代の早稲田大のイメージは、立て看板が並ぶ雑多な学内をバンカラな雰囲気の学生が闊歩(かっぽ)している、というイメージだったのだが、現在は、高層建築を含む近代的なビルが整然と並ぶ美しいキャンパスを、清潔感あふれる若者が明るい色の服を着て歩いている。

キャンパスに咲く花(筆者撮影)

キャンパスに咲く花(筆者撮影)

 4月のはじめに新任教諭の顔合わせの会合があり、門をくぐると、ちょうど満開の桜が迎えてくれた。緊張して向かう新しい環境の中に、あたたかく灯(とも)るこの桜色は、かたくなりかけていた心を和ませてくれる。
 独特のやわらかい色がふくらんで、かすかな風に舞う花びらは、始まりの儀式にも、お別れの儀式にも、似合う。

青き空にさくらの咲きて泣きごゑは過ぎし時間のなかよりきこゆ

森岡貞香


 

誰かうしろになみだぐみつつ佇つごとし夕ぐれが桜のいろになるころ

花山多佳子


 

 華やかな桜の花だが、なぜか悲しみを想起させるところがある。満開になったとたん、はらはらと散っていく花びらが、涙を連想させるからだろうか。

戦中戦後わが自分史のいづこにもさくらの記憶ありてかなしむ

尾崎左永子


 
 この歌のように、戦争の記憶と結びつける人もいる。世界を彩る花の色は、記憶を刻みつけるための触媒になるのかもしれない。

キャンパスに咲く花

キャンパスに咲く花

 そんなことを思いながら、ふと「アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい」という歌のフレーズが頭をかけめぐった。西田佐知子さんの歌った「アカシアの雨がやむまで」という曲で、流行時に直接聴いたわけではないが、懐メロや、カバー曲として聴き、記憶に残っている。
 つくづく考えると、「アカシアの雨」とはどういうことだろうか。アカシアの花が咲くころに降る雨とも取れるし、アカシアの花が雨のように散っている様子とも取れる。おそらくダブルイメージで、悲しい気分が充満している様子を例えているのだろう。自分がもし死んだら「あの人」は泣いてくれるだろうか、という切ない恋心を歌っているようなのだが、歌声やメロディーの退廃的な雰囲気もあいまって、60年安保闘争の後のむなしさの中にあった若者の心を捉えた、とのこと。

研究室の窓から見えるスカイツリー

研究室の窓から見えるスカイツリー

 この歌のポイントは、本気で死にたいわけではなく、仮定として自分が死んだ世界を夢想しているところだと思う。絶望に降る花の雨は、精神的な黄泉(よみ)の国の景なのだ。うつくしい花の雨が降りしきる夢想の中で一度思い切り死んだあと、ふたたび立ち上がる可能性を孕(はら)んでいる。だからこそ、死にたいような気分を抱えた多くの人が愛唱したのではないだろうか。          (歌人・作家)

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