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言ノ葉ノ箱
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闇の中の希望

2015/6/11

 5月の連休中に、日帰りで静岡を訪ねた。「ふじのくに⇄せかい演劇祭」というイベントの一環として上演された「盲点たち」という演劇を見にいくためである。

劇場付近の茶畑(筆者撮影)

劇場付近の茶畑(筆者撮影)

 この芝居の上映場所は、森。静岡らしい、茶畑の広がる山道を歩いた先に、芝居の上演場所はあった。ただしそこには、森の中にランダムに並べられた白い椅子(いす)があるだけで、舞台も照明もない。深い森には、街の光も届かない。私たち観客は、わずかな光を頼りに道を歩き、手探りでめいめいの座席についたのである。声がどこからか響き、芝居が始まった。
 「盲点たち」は、登場人物すべてが目が見えない人である。その暗闇の世界を観客もともに体感する、という試みなのだった。原作はメーテルリンクの「群盲」で、平野暁人が新しく翻訳した脚本を、フランス人のダニエル・ジャンヌトーの演出により、劇団「SPAC」が上演した。「SPAC」とは、静岡県舞台芸術センターの略。静岡を活動拠点として専用の劇場や稽古場を備え、俳優や制作スタッフも所属している、国内初の公立文化事業団である。役者は、茶畑に囲まれた稽古場で生活を共にしながら、アーティスティックな舞台を完成させていくのである。

「ふじのくに⇄せかい演劇祭」のポスター

「ふじのくに⇄せかい演劇祭」のポスター

 この日はよく晴れていて、空には丸い月が輝いていた。舞台に向かう暗い道を歩きながら、月の光のほんとうの明るさを知った気がした。私は、こんな歌を思い出していた。

いもうとの小さき歩みいそがせて千代紙かひに行く月夜かな

木下利玄

 千代紙を売っている店が、閉店になりそうなので急がせているのだろうか。小さな子が一生懸命歩いている様子は、想像するだけでとてもかわいい。兄からの、妹への慈しみの心がおだかやに伝わる。
 作者の木下利玄(りげん)は明治19(1886)年に岡山で生まれ、大正期に活躍した歌人である。街の灯も今よりずっとささやかだっただろう。「月夜」の道は、あのとき歩いた空のようだったに違いない。

森の夜の空

森の夜の空

 人は闇を恐れるが、人工的な光が途絶えた世界でも、真っ暗闇になるわけではないのだ。空は漆黒ではなく、紺色を薄めたような青い、美しい色をしていた。夜の闇の気配を濃厚に感じられる色だと思う。夜の世界は思ったよりも心地よく、不思議な安堵(あんど)感に包まれていた。人がすぐそばに何人もいて、孤独ではない状態だったこともあるのだろうが、闇にはなんともいえない包容力があると思う。目に見えなくても、たしかにそこに何かがある。闇は、恐怖でもあるが、希望でもある。

これやこの三人の吾子の墓どころ土のしめりに身をかがめけり

灯(ほ)あかりのほとほととどかぬくらがりに大木(たいぼく)の幹の太々(ふとぶと)とあり

 子ども好きだった利玄だが、3人の子を幼いうちに亡くす不幸に見舞われた。「くらがり」に立つ大木は、目には見えない者が寄り添っているようである。たくましく太い「幹」に触れながら、身体を失った魂が安らげる場所を求めたのではないだろうか。
                 (歌人・作家)

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