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つらぬく言葉
6月9日の夜、東京の吉祥寺にあるライブハウス「曼荼羅(まんだら)」での福島泰樹さんの短歌絶叫ライブに参加した。福島さんの第一歌集「バリケード・一九六六年二月」の出版記念会が開かれた1970年に始まったという短歌朗読は、海外も含む各所で行われ、現在この曼荼羅では、毎月10日に開催されている。
今年で月例となって30年を迎えたことを記念して4夜連続で行われたのが、「遥(はる)かなる朋(とも)へ」と題するこのライブである。短歌絶叫ライブは、美しく、力強い音楽とともにあり、私が体験した初日は、龍さんこと佐藤龍一さんがギターとボーカルを担当していた。
黒い帽子をかぶり、トレンチコートを羽織って舞台に立った福島さんは、深い穴の底からもれてくるような、少しかすれた低い声で、一人の青年の遺書を語りはじめた。
「現在8時前。あと数時間だ。ぼくの歴史は一九六〇年十二月五日午前何時かにて終了する。それまでの数時間、まったくぼくだけのために、このノートを書き残しておこう」
これを書いたのは、55年前に21歳で自殺した歌人、岸上大作である。
血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする
岸上大作
革命を夢に見て闘争に参加する中、募らせていった一人の女性への想い。それがかなわなかったことが引きがねとなって、自らの命を絶ったという。「高瀬よ!君からは生涯の借りをしたい」と遺書が親友の名前を叫んだとき、70歳を過ぎた福島さんの体に、21歳の若者の魂が乗り移っていた。
福島さんはこのように、自作の短歌以外に、中原中也や寺山修司、立松和平、村山槐多らの作品を、音楽にのせて絶叫する。彼らの肉体はすでにこの世にはない。老人になることなく散っていった命である。声となって発せられた彼らの言葉が、ライブハウスの硬い椅子(いす)に座っている私たち聴衆の体の中心を通過していくのをただ受け入れる。純粋な祈りの言葉のように。
実は福島さんは、僧侶である。絶叫ライブは、鎮魂の儀式でもあるのだと思う。
さようなら寺山修司かもめ飛ぶ夏 流木の漂う海よ
福島泰樹
みな雨に濡れていたっけ泣いていたフランスデモの若者がゆく
同
樽見、君の肩に霜ふれ 眠らざる視界はるけく火郡(ほむら)ゆらぐを
同
詩人も歌人も友人も、絶叫される言葉の中でまじりあう。声にされた言葉は、自在に時空間を越えていく。闘いを挑みながら、浄化されていく。
私はいつもすっかり圧倒されるので、絶叫ライブに参加したあとの記憶がほとんどない。
夜が明けて、ふたたび明るい光を浴びて外を歩くと、街の片隅に咲く花が、やたらとまぶしく感じられた。鮮やかな色を見せる6月の花々も、誰かの魂を慰めているように思えてならない。
(歌人・作家)
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