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言ノ葉ノ箱
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文明の心

2015/10/2

 群馬県高崎市にある、県立土屋文明記念文学館を訪ねた。この地が「上郊(かみさと)村」と呼ばれていた明治の半ばに生まれた文明は、斎藤茂吉から歌誌「アララギ」の編集発行人を引き継ぎ、平成2(1990)年に100歳で亡くなるまで「生活即短歌」の作歌信条を貫き活躍した歌人である。

晩年の青山の書斎(筆者撮影)

晩年の青山の書斎(筆者撮影)

 農家に生まれた文明は、幼いころ伯父夫婦のもとで育てられた。伯父は文明を愛情深く育て、夜ごとに講談本を読み聞かせるなど、文学者としての素地を与えたという。
 記念館のすぐ近くに「かみつけの里博物館」があり、八幡塚古墳が復元されている。その広大な墓は、周りが美しい緑に覆われている。1500年前に吹いていた風と、今現在自分が受けている風が、時を超えてつながっているように感じる。文明少年は、こんなのびやかな風景を見て成長していったのかと思う。

八幡塚古墳

八幡塚古墳

この三朝(みあさ)あさなあさなをよそほひし睡蓮(すいれん)の花今朝(けさ)はひらかず

土屋文明

 その後文学を志し、「牛飼い」の歌人、伊藤左千夫を頼って上京し、短歌を学んだ。右の歌は、左千夫の家で詠んだ歌である。睡蓮の花が開くのを毎朝心待ちにしていた純朴な少年の心が伝わる。この睡蓮をはじめとして、生涯植物に親しみ、多くの歌を残した。
 一方で、動物の歌も詠んでいる。

箱船(はこぶね)に袋も豚も投げ入れて落ちたる豚は黄河(くわうが)を泳ぐ

 これは、戦時中に陸軍省の報道部の一員として中国大陸を旅行したときの歌である。乱暴に船に投げ入れられたため、黄河に落ちてしまった豚が泳いだ、という情景描写の歌だが、豚に対する励ましの気持ちとともに、自由への希望を託したのではないかと思う。

垢(あか)づける面(おも)にかがやく目の光民族の聡明(そうめい)を少年に見る

 軍の関係者として同行しつつも、さまざまな形でそこに生きる命の営みを尊厳を込めて歌にしていった。ルポルタージュとしても読み応えのあるこれらの連作からは、時代の荒波の中でもぶれることのない愛情を感じずにはいられない。文明には、一貫して生きとし生ける者への慈しみが感じられるのである。

命(いのち)過ぎ何をつくろはむこともなし皮をはぎ肉をすて骨をくだけよ

 99歳の時の作品である。老いてもなお、その文体は力強い。文学館には、歌会や万葉集の研究のために日本各地を歩き回ったときのキャラバンシューズが展示されている。100歳まで生きた丈夫な身体を支えていた靴は、大地をしっかりと踏みしめるための重みが感じられる。

文明愛用の靴

文明愛用の靴

 昭和23(1948)年の「短歌の現在および将来について」という講演で述べた「短歌というものは、いちばん真剣な生活者、広い意味での勤労者の文学だ」という言葉は、混迷と不安を抱える現在の社会に、より深く沁(し)みてくる。

(歌人・作家)


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