趣味・食・遊ぶ

言ノ葉ノ箱
  • この記事にコメントする

信念と悲しみ

2017/1/30

 2017年が始まったその日、映画「この世界の片隅に」を家族で観(み)た。こうの史代の同名漫画を原作にしたもので、戦時下の呉に嫁いだ若い女性、すずの目を通じてその時代の生活が淡々と描かれ、生きるということの根源的な意味を考えさせられる。
 

「この世界の片隅に」原作

「この世界の片隅に」原作

 とりかえしのつかない時間の残酷さが淡々と描かれる中、悲惨な戦争とは無縁の空や海などの不変の美しい風景の広がりに、胸が熱くなった。こんなにきれいな空の下で、なぜ人はあんなにひどいことができてしてしまうのだろう。
 戦争が終わった瞬間、すずは「納得がいかない」と不自由になってしまった身体(からだ)で外に飛び出し、なんで負けたんだ、とうずくまって大粒の涙を流す。政治や思想とは無縁に、世界の片隅で生きてきた善良な一主婦の心にも、戦争に勝つことが正義であるという考えが根付いていたのだ。そのことに気付いてほしいという原作者の願いが、静かな美しい一本のアニメーションフィルムの中にもしっかりと結実していたように思う。
 

東京スカイツリーの見える冬空

東京スカイツリーの見える冬空

 行けば死ぬと分かっている戦場に万歳三唱をしながら家族を送り出し、街が破壊され、焼け尽くされ、大勢の人が無残な死を目の当たりにする。狂気が渦巻く世界を動かしていたのは、一人一人の心に根付いてしまった、間違った「正義」だったのだと思う。
 今日も、赤ん坊を背負った女性によるテロが発生したとネットニュースで読んで驚いたところである。年端も行かない少女がテロを起こすこともある。なぜそんな信じられない行動が取れるのか。客観的に見れば洗脳されていた、と思う。だが、行動を起こした本人からすれば、自分の信念を貫き通して崇高な行動を取った、ということになるのだろう。それは一つの宗教の形でもある。
 先日観た「沈黙 サイレンス」を思い出す。この映画は、江戸時代初期の長崎で起こったキリシタン弾圧を基にした遠藤周作の小説「沈黙」を原作としている。弾圧される宣教師が何度も心の中で問う「神よ、なぜあなたは沈黙を続けるのですか」という言葉に、揺さぶられた。
 

映画「沈黙」のパンフレットと原作本

映画「沈黙」のパンフレットと原作本

 弾圧される者、弾圧する者、信仰を貫く者、棄(す)てる者、棄てたと見せかける者……。誰か一人に加担するわけではなく、さまざまな立場にある人の心のありようをこんなにも等しく深く感じ入ることができたのは、初めてだった。
 弾圧に屈しなかった人は英雄として語り継がれ、棄教した者の記録は少なく、なかったことにされようとしていた。遠藤周作はそのことに着目し、「切支丹の里」という随筆の中で次のように書いている。

  私は彼等を沈黙の灰の底に、永久に消してしまい
 たくはなかった。彼らをふたたび灰のなかから生き
 かえらせ、歩かせ、その声をきくことは―それは文
 学者だけができることであり、文学とはまた、そう
 いうものだという言う気がしたのである。

 遠藤のこの想(おも)いは、スコセッシ監督の想いと共に、世界中の人に映像として焼き付けられた。それは、未来に向けて我々が何をすべきなのかを考えるためのメッセージでもある。
                 (歌人・作家)

この記事に対するコメント
一覧

  • コメントはありません

  • この記事にコメントするへ
  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

記事一覧

 あなたにおすすめの記事