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言ノ葉ノ箱
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東北の花

2013/5/25

 5月の連休に東北へ行き、本州で最後に咲く桜を見た。東北では、毎年この時季に満開を迎えるのだが、今年の春は気温の低い日が続き、全体的に開花が遅れたようだった。
最初に訪ねた青森県の岩木山などの山間部ではまだ雪が解け残っていて、桜のつぼみは堅くしまったままだった。夜になるとしんしんと冷え、ストーブが必要だった。東京だと3月初めの感じだろうか。日本の他の地域はおおむね晴れているのに、日本海側の青森と秋田だけが天気が悪いという状態で、つめたい雨が降ったりやんだりする空には、つねに重い灰色の雲に覆われていた。
こんな空の下で育ったのだな、と東北出身の2人の文学者のことを思った。太宰治は津軽半島に、寺山修司は下北半島のふもとに住んでいた。ともに青森県である。2人とも大学進学とともに上京するのだが、生涯、故郷に対する暗くて深い思い入れが消え去ることはなかった。太宰は30代、寺山は40代で早世してしまったが、晩年になるほどに、故郷への思いは濃密に作品に投影されていったように思う。

太宰疎開先の家

太宰疎開先の家

 「あれが」僕の家、と言いかけて、こだわって、「兄さんの家だ」と言った。
 けれどもそれはお寺の屋根だった。私の生家の屋根は、その右方に在った。
 「いや、ちがった。右の方の、ちょっと大きいやつだ」滅茶(めちゃ)々々である。

 母危篤の知らせを受けて、初めて妻子を津軽金木町の実家に連れていったときのことを太宰が書いた「故郷」という短編の一節である。学生時代に心中未遂事件などの問題を起こして勘当され、この前年の夏まで10年間帰れなかった家を「兄さんの家」(兄が家を継いでいた)と言い直すなど、短い文章の中から太宰の屈折が 読み取れる。
 太宰の育った津島家の豪邸は「斜陽館」と呼ばれるようになり、現在は資料館となっている。斜陽館の近くに、太平洋戦争のときに太宰が妻子とともに疎開した際に使った家も保存され、公開されている。そのつつましい家の庭の桜の枝の先に、一つ二つ、花が咲きかけていた。
 その後、津軽半島を南下して弘前に立ち寄った。弘前城には、さまざまな種類の桜が2600本以上植えられているそうで、まだ咲き切ってはいなかったが、開放されていた弘前市役所の屋上から見ると、圧巻だった。桃色の霞(かすみ)の中を人々が歩く、ユートピアのようだった。

弘前市役所屋上からの桜

弘前市役所屋上からの桜

  さらに南下して秋田県に入り、武家屋敷の枝垂れ桜で有名な角館に向かった。雨もようの天気が次第に晴れてあたたかくなり、数時間滞在するうちに花がどんどんほころんできた。
端午の節句の日なので、軒先で鯉(こい)のぼりが上がっていた。鯉のぼりと桜の花が同時に青空を飾るのは、東北ならではである。梅や桃やりんごの花、水仙や菜の花も同時期に咲く。

枝垂れ桜と鯉のぼり

枝垂れ桜と鯉のぼり

長く続く寒さに堪えて迎える北国の春は、あらゆる生をことほぐかのように、艶やかで美しい。
(歌人・作家)

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