趣味・食・遊ぶ

言ノ葉ノ箱
  • この記事にコメントする

雪の国からの歌

2013/2/5

 朝早く近くの公園を散策すると、芝生を持ち上げるように霜柱が成長していて、氷の糸を地表にさらしていた。小さな池の全面が凍りつき、キセキレイが氷の上で首をちょこちょこ動かしながら歩いていた。

氷上のキセキレイ

氷上のキセキレイ

 今年は冬が到来したとたん、ずっと寒さが厳しい。成人式の日には、関東で大雪が降り、東京の都心部でもめずらしく雪が積もった。その後も気温の低い日が続いて、道路脇などに寄せられて積まれた雪は、そのまま凍りつき、積雪から一週間経った今も、残っている。手で触ってみると、石のように固い。

解けかけの雪だるま

解けかけの雪だるま

 雪が積もった直後に作られたと思われる、都心の店先にあった雪だるまは、徐々に形を変えつつも、まだ存在を主張していた。

 しかしこれらの残雪も、雨でも降れば消え去ってしまうだろう。水がつくりあげた姿を、水が消し去っていくのだ。

雪冠の富士

雪冠の富士

 公園の小高い場所から、雪の冠を掲げた富士山が見えた。あの白い雪は、春先まで決して溶けることはない。雪山への登山で遭難し、亡くなられた方がいることを思う。

 様々な命を生み、命をつなげる水が、命を奪うこともある。地球の気温の変化でさまざまに形や色を変え、この世界に充ちている水の神秘の中に私たちは今日も生きている。

雪が沁むかぎりなく沁むみづうみのその内奥の暗緑世界

                          斎藤 史

 みずうみに雪が降っている。みずうみに落ちた雪は、みずうみの水の中に溶けて行く。あるいは、凍ったみずうみの表面に雪が積もっているのかもしれない。いずれにしても雪はみずうみに「沁」み、深い深い、光のささない湖の底へ落ちていくのだ。

 作者の斎藤史は東京生まれだが、一九四五年に父親の生まれ故郷である長野県安曇野に疎開のために移住し、以後、二〇〇二年に九三歳で亡くなるまで、その地に住み続けた。みずうみの「暗緑」は、作者の心理を反映しているのだと思う。

わが頭蓋の罅ひびを流るる水がありすでに湖底に寝ねて久しき

                          斎藤 史

 自分の頭蓋に罅があり、そこに水が流れているというイメージは、廃墟を連想させる。時を経て、人が訪ねることのなくなった廃城のそばに、どんなに時代が変わっても同じ姿で水をたたえ続ける湖のある風景が広がる。

 冬になれば、雪や氷という固体となった水を見つめつづけることになる地域で、史はそれを、自分自身の心身と常に結びつけて考えたのではないだろうか。

 史の父親、齋藤瀏(りゅう)が巻き込まれた二・二六事件の日は、東京にもたくさんの雪が降っていたという。父親を通じて知り合い、親しくなった青年将校が、この事件に関わったことで何人も処刑されている。多感な少女だった史の心の痛みは、残された歌から想像するしかない。

暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた

                          斎藤 史

この記事に対するコメント
一覧

  • コメントはありません

  • この記事にコメントするへ
  • 前の記事へ

記事一覧

 あなたにおすすめの記事