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言ノ葉ノ箱
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船が運ぶもの

2017/8/30

 日本から見て外国に当たる地を「海外」と呼ぶが、改めて考えると島国ならではの表現だな、と思う。今のように飛行機が発達していなかった頃、海外へ行くには船を使って何日も航海する必要があった。天候の不安定な中での大海の旅は、絶えず危険と隣り合わせだった。しかし、近代化されてからの船は安全度が増し、優雅な旅をつくり出した。
 8月の初めに横浜を訪ねた。海の見える山下公園まで足を延ばすと、おだやかな海が、強い日差しをきらきらとはね返していた。その海の上に一艘(そう)の巨大な船が浮かんでいる。昨年重要文化財にも指定された「日本郵船氷川丸」である。
 「氷川丸」は1930年に米シアトルへの航路用に建造された貨客船で、30年間に太平洋を254回横断し、2万5千人余りの人を運んだという。戦前の日本で建造された貨客船では唯一現存している船なのだそうだ。61年から山下公園の前に係留保存され、2008年に現在の日本郵船氷川丸としてリニューアルオープンしている。 

鎖にとまるカモメ

鎖にとまるカモメ

 動くことがないとわかっていて安心しているかのように、カモメが係留用の鎖に鈴なりに止まって、快晴の空の下で気持ちよさそうに風に吹かれていた。
 船の中は有料で公開されていて、中に入るとふかふかした絨緞(じゅうたん)が通路まで敷かれ、赤いビロードのソファが鎮座している。小鳥の模様のステンドグラスや幾何学模様のガラスの天井などの装飾の細部から、懐かしくてロマンチックな気分がにじむ。そして、独特の丸い窓から海を眺めると、わくわくする。 

丸窓から見る横浜

丸窓から見る横浜

 復元されている1等客室は、ヨーロッパのホテルの一室のようで、この部屋でなら何日でも気持ちよく過ごせそうだと思う。海に浮かぶこの部屋でいろいろな人が、まだ見ぬ外国の土地を踏み、生活することへの期待を膨らませていったのだ。
 今でも世界を周遊する豪華客船は存在するが、気軽な飛行機旅行ができる以前の氷川丸の乗客の感慨とは大きく異なるだろう。

1等客室

1等客室

作曲をせし青年は死にたれば海こえてかへる真紅の楽器 
                    岡井 隆

 海外で作曲家として活躍した青年の愛用していた真紅(しんく)の楽器が、彼の失われた肉体のかわりに帰国する。真紅の楽器とはなんだろう。実景というより、音楽とそれを生み出す人間と楽器のイメージとして捉えてもいい一首だろう。
 船が運ぶのは人間の身体だけではない。その人の人生と共に、その人に付随している物や考え、つまり文化を運ぶのだと思う。そして海を隔てて育まれた異なる文化を吸収し、かつ新しい風を吹き込む。

牛乳を匙ですくいて飲み病めば船は遠くを出てゆきにけり
                    寺山修司

 寺山は、早稲田大学に通っていた10代のときに生死をさまよう大病をした。牛乳を匙(さじ)ですくって飲まなければならないほど衰弱した身体で、遠くへ旅をする船を想(おも)っていた。病室のベッドで、海を渡るために眠る船室を夢見ただろうか。
                 (歌人・作家)

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