趣味・食・遊ぶ

言ノ葉ノ箱
  • この記事にコメントする

紫陽花とハブラシ

2018/6/28

 これまでいろいろな街に転居しながら生きてきたが、どの街にも夏が始まる少し前に、紫陽花(あじさい)が咲いた。紫陽花の、花に見える部分は本当は花ではなく、萼(がく)なのだということを教えてもらったのは、8歳くらいのときだっただろうか。中にある小さな芯のようなものが本当の花だということを聞いてから、紫陽花を見るときは、時々そこを注視してしまう。
 子どものときは、こんもりした丸い紫陽花と、花の部分が中心にあつまっている額紫陽花の、二つの種類しか知らなかった。色も青から赤にかけてのグラデーションの中にある色のものしか見なかった気がするが、最近見かける紫陽花は、色も形もとりどりで、紫陽花を見つけながら歩く散歩が楽しくてしかたがない。

白山神社の紫陽花

白山神社の紫陽花

 東京・文京区の白山神社では、6月に「あじさいまつり」が開催され、普段は閉鎖されている富士塚が一般公開される。私は最終日の6月17日の朝に足を運んだ。なじみ深い淡い紫色の丸い紫陽花はもちろん、真っ白い可憐な紫陽花や、額紫陽花の額にあたる部分が星を重ねたような形をしたスタイリッシュな紫陽花、少し緑がかった、野生に近いものも花開いていた。

狛犬と紫陽花

狛犬と紫陽花

 紫陽花の花は、万葉集ではほとんど歌に詠まれていないようだが、近年になるにつれ、詩歌、小説、絵画の中でさまざまに描かれてきた。

紫陽花の芯まっくらにわれの頭(ず)に咲きしが母の顔となり消ゆ
                    寺山修司

あぢさゐの濃きは淡きにたぐへつつ死へ一すぢの過密花あはれ
                    岡井 隆

なまじろき鱗(うろこ)をかさねゐたるのみ闇のなかなるあぢさゐの花
                    大西民子

紫陽花の鬱(うつ)といへども死のきはの耳にさやらばことばのあそび
                    塚本邦雄

 「まっくら」「死」「闇」「鬱」という語が、それぞれ見つかる。あざやかな花の奥に、死や闇などの暗いものを感じ取っている作品が多いことに気付く。色鮮やかで華麗な印象の紫陽花だが、その球体の内側の暗い部分に目を向けるのが、歌人らしい視線なのかもしれない。

「歯ブラシ供養」の看板

「歯ブラシ供養」の看板

 白山神社の狛犬(こまいぬ)は、足元に満開の紫陽花が飾られて、金色の目を細めているように見えた。そのそばに、「歯ブラシ供養」の看板が見える。江戸時代から歯の神様として庶民の信仰を集め、明治時代には授与品として房楊枝(ようじ)、つまり歯ブラシも出していたことから、始めたことだという。人が使うさまざまな道具の中でも、歯ブラシは特に過酷な仕事をしている。供養してあげてもいい物なのかもしれない。

仕立屋の朝の音楽もれてくる北窓におく白いハブラシ
                    東 直子

 この歌は、第7回歌壇賞を受賞した連作「草かんむりの訪問者」の中の最後の歌として置いた歌である。ハブラシがそこにあるのは、まぎれもなく生きてここにいる証しである。いろいろな色があり、ふさふさしているところ、また、古くなってくたびれていく様子が、少しだけ紫陽花に似ているかもしれない。
                 (歌人・作家)

この記事に対するコメント
一覧

  • コメントはありません

  • この記事にコメントするへ
  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

 あなたにおすすめの記事

記事一覧