
月別アーカイブ
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年10月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月
- 2013年3月
- 2013年2月
墓と文字
なぜ夏は、魂が戻ってくる季節なのだろう。猛暑が続く中、ふとそんなことを思う。あまりに暑いと、身体も頭もうまく動かない。畳の上に寝転がって昼寝でもするのが一番だ、と思ってしまう。
一年に一度、魂はそんなリラックス状態にある人が多い中に、この世に戻ってくるのだろう。身体はなくなっても、魂はときどき戻ってくる。茄子(なす)やキュウリで見立てた動物の乗り物に乗って。考えてみれば、お盆というものはとても幻想的で、愛らしく、やさしい儀式だと思う。
死者の骨の上につやつやと照る石を置き、その魂を多くの人が平等に悼むための墓という場の設定もまた、神秘的でやさしい方法だと思う。暑い夏には、太陽の光で焼けたその墓石につめたい水をたっぷりかける。あの、不思議な涼しさ。
墓石に水をそそげば濡れに濡るいざ歸(かえ)りなむ妻よわが家に
窪田章一郎
この歌では、墓石に水をかけて、亡き妻の魂がみずみずしく蘇(よみがえ)ることを切に願っている。
8月に発売になる短歌ムック「ねむらない樹」(書肆侃侃房(しょしかんかんぼう))で編集委員をつとめている。その編集会議の前に、歌人5人で雑司ケ谷霊園(東京都豊島区)を訪ねた。湿気が高く、めらめらと熱気のあった日で、広い墓地には、他に人はほとんどいなかった。木々と草と墓石の並ぶその場所は、一瞬、文明が去ったあとの風景のように思えてしまう。
雑司ケ谷霊園は、明治7年に開設された公立の共同墓地である。現在は東京都が管理している。一般の人々の墓にまじって、文学者ら著名人の墓もある。
その一人、夏目漱石の墓は、土台に「夏目」という名字が横書きで書かれた石に戒名が大書された、立派なものである。
一方で永井荷風の墓は、質素な普通の墓で、周りを緑の生け垣に囲まれて、ひっそりと目立たぬようにしているかに見える。
小泉八雲や泉鏡花の墓は、どこか洗練され、モダンなたたずまいである。墓のデザインも、なんとなく故人の個性が投影されているように思う。
人の身は消えゆくならひ墓石にこもれるこころ我感(し)らむとす
鹿児島寿蔵
どんな人の「身」も、必ず消える。この歌では、肉体を失ったあとの「こころ」への興味を詠んでいる。「感」という字を当てることで、知識として知るのではなく、感覚としてそれを知りたい、と願う。
墓標の裏にも大抵なにか文字が書いてある。その人の人生を象徴するようなことが書いてあることもあって、目を凝らしても読みたくなる。年月がたつとだんだん読みづらくなっていくのは、時々この世に戻ってきた魂が文字をなでて、もういいよ、と言いながら消そうとしているのかもしれない。
墓の裏を目を凝らしつつ読む文字のこの世の際のさびしさ淡く
東 直子
(歌人・作家)
コメントはありません