趣味・食・遊ぶ

言ノ葉ノ箱
  • この記事にコメントする

海をわたる橋の下に

2018/11/28

 橋といえば、たいていは川をわたるためのものである。こちらの岸からあちらの岸へ。けれども時に、海を越える橋がある。
 瀬戸大橋は、瀬戸の内海を越えて本州と四国を結ぶ。この橋を通るたびに、ほんとうに特別な橋だと思う。ストイックな、すっきりしたフォルムに真っ白な躯体(くたい)。この橋を走る鉄道で海を越えるとき、とてもときめく。
 眼下に広がる平たい青い海に、緑をこんもりと乗せたかわいい島々、白い煙を元気に吐き出す工場群が浮かぶ。夢の中の景色を移動しているような心地になる。

沙弥島から見た瀬戸大橋

沙弥島から見た瀬戸大橋

 その瀬戸大橋の四国側の入り口の都市、坂出(香川県)を、先日訪ねた。市内の沙弥(しゃみ)島の海岸から、白い橋がよく見える。この島に、かつて柿本人麻呂が訪ねている。内海で、基本的におだやかだが、時に強く吹く風や潮流のため、遭難者が出ることもあったという。人麻呂も、白波が立つような強い風を受けて、沙弥島に一時避難した。そのときに詠まれた長歌と反歌が、万葉集に収められている。
 長歌には「波の音のしげき浜辺(はまへ)をしきたへの枕になして荒床(あらとこ)にころ臥(ふ)す君が」と、沙弥島の浜辺に流れ着いた死者のことが描かれている。さらに、「家知らば行きても告げむ妻知らば来(き)も問はましを玉桙(たまほこ)の道だに知らずおほほしく待ちか恋ふらむ愛(は)しき妻らは」と詠む。死者の家を知っていたら、伝えてあげられるのに、そうすれば妻がここに来てくれるだろうに、彼らの愛(いと)しい妻たちは、ひたすら待っているに違いないのに―と、それができないもどかしさと共に、その妻を慮(おもんぱか)っている。もしかしたら自分もそうなったかもしれないという実感があり、自分も、愛しい妻に今すぐにでも会いたいと思ったのだろう。

柿本人麿碑

柿本人麿碑

妻あらば摘みて食(た)げまし沙弥(さみ)の山野の上のうはぎ過ぎにけらずや

 返歌の一首目。妻がいたら、一緒に山の上のうはぎ(ヨメナ)の芽を摘んで食べただろうに、すでに食べる時期を過ぎってしまっていることだ―と、名も知らぬ悲しき海の死者へ、島の植物にことよせて詠んでいる。
 これらの歌に心打たれた坂出出身の作家中河与一が、この島に「柿本人麿碑」を建立し、昭和11(1936)年、萩原朔太郎や佐佐木信綱、前川佐美雄たち文人を招いて除幕式を行ったという。

萩原朔実さん(中央)、中河夫妻ご親族の中河哲郎さんと

萩原朔実さん(中央)、中河夫妻ご親族の中河哲郎さんと

 現在、中河与一とその妻で歌人の中河幹子を顕彰した会があり、子どもたちの作文に対して中河与一文芸賞、短歌に対して中河幹子賞を設けている。今回の授賞式では、朔太郎の孫にあたる萩原朔実さんの講演があり、私もゲストとして少しお話しさせていただいた。100年以上の時を超えて、詩人と歌人として同じ場所から海を眺め、その地を踏み、不思議なうれしさが込み上げてきた。

せみの声・花火・ひまわり・海の音八月終わりに絵日記となる
                    好井祐晴

 第20回中河幹子賞受賞作品。日常に海がある子どもの夏が、一首の中で永遠となった。
                 (歌人・作家)

この記事に対するコメント
一覧

  • コメントはありません

  • この記事にコメントするへ
  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

記事一覧

 あなたにおすすめの記事