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ヒマラヤ杉のあたり
2007年の1年間、ふらんす堂(出版社)のウェブサイトで短歌日記を連載していた。1月28日には、次の短歌を寄せた。
あんなあ、と言うタケちゃんの物語ヒマラヤ杉のあたりまできた
「タケちゃん」は、いつも同じ長い話をする癖がある。そしてその話には「ヒマラヤ杉」のことが登場するので、みな落語でも聞くように、ああ、きたきた、と思いながら、話の経過を見守っている、という場面を描いた一首である。しかし、「タケちゃん」という人は、この歌を作る過程で思いついた架空の人物であり、短歌で描かれていることも架空のエピソードである。
短歌は、一首の主人公は本人と同一であり、身の回りに起こったほんとうのことしか書かれないと思っている人も多いようなのだが、実はそんなことはないのである。
この歌には、日記として「だれの人生にも口出しをしないようにしているんだけど、でも、言いたいことがあるの、と、隣に立っている人が言われていた」を添えた。日記は、街中でほんとうに見聞したことのように思っているが、12年も経(た)った今、記憶がおぼろで、これも頭の中で作ったのかもしれない。案外「ヒマラヤ杉」の方が、事実に即した何かがあったかもしれない、などとこの頃思う。
先日、あまりに立派なヒマラヤ杉に遭遇したからかもしれない。
東京メトロ千代田線根津駅とJR日暮里駅の間にある谷中と呼ばれる寺町の民家の軒先に、一本の大きなヒマラヤ杉がそびえ立っている。「みかどパン」という名前のお店が入っている木造の建物を覆い尽くすように枝葉が茂っているが、初代の「みかどパン」店主が戦前から植木鉢で育てていたものらしい。
いつの間にか三叉(さんさ)路に根付き、巨木化して町のシンボルとなった。「みかどパン」の木製の引き戸を引いて店の中に入ると、パンは売られていないようだったが、ヒマラヤ杉をモチーフにしたクッキーやラスクが販売されていたので購入した。
このあたりは、木造の古い民家が多く残っていて、散歩をするのがとても楽しい。細い路地は行き止まりも多く、迷いやすい。いつか通ったことのある場所へ、もう一度行こうと思っても、たどり着けないこともある。夢の中で歩いていただけだったのかな、などと思ってしまう。毎日あわただしく過ぎていく日々の詳細は、どんどんあいまいになる。
12年前に連載した短歌日記は『十階』という歌集にまとめた。いのしし年がまた巡ってきた今年、再度1年間、短歌日記として記録したいと思い、元日よりツイッターで続けている。
肉体をのがれた声を重ねつつ今年最初の空をみたこと
映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観(み)て、今年最初に作った歌である。平成時代が終わる今年をゆっくりと嚙(か)み締めつつ綴(つづ)っていきたい。
(歌人・作家)
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