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言ノ葉ノ箱
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眠りを流し、祈りをうたう

2019/11/29

 今、短歌や小説、エッセー、イラストレーションなど、様々な仕事をしているが、創作の作業は、基本的に一人で行っている。一人でする仕事の一番の敵は、眠気である。どんなに時間があったとしても、集中力が伴わなければ進まない。今は眠たくなっている場合ではない、と思っていても、いったん眠気に襲われると、なかなかコントロールできない。締め切りが迫って切羽詰まっているときなど、どうか集中できますように、と祈るような気持ちになる。
 そういう気持ちが農作業をする人にも共通していたことを、先日短歌大会のあとで立ち寄った青森のねぶた祭の資料館「ねぶたの家 ワ・ラッセ」で知った。「ねぶた」とは、「眠り流し」、つまり、農作業中の眠気を取り払いたいという願いが込められていたということなのだ。広い館内には、青森ねぶた祭の歴史や、ねぶた製作における詳細な資料とともに、最新のねぶたが何体も薄闇の中で光を灯していた。ねぶた祭で、これらが道の向こうから迫ってくるのを目の当たりにしたら、一年分の眠気を吹っ飛ばせる、というのも納得できる気がする。

ねぶたの「手」

ねぶたの「手」

 ねぶたで表現されている題材は、源義経のような歴史上の人物や、中国の伝説、歌舞伎の場面や、神仏などである。どの作品も壮大でありながら、指の先まで繊細に表現されていて、いつまでも眺めていられる。
 今年の「ねぶた大賞」に輝いた作品は、和歌を題材とした竹浪比呂央作の「紀朝雄(きのともお)の一首 千方(ちかた)を誅(ちゅう)す」だった。歌の力によって、禍々しい鬼の力を封じ込めた伝説を描いたものである。

今年の「ねぶた大賞」作品

今年の「ねぶた大賞」作品

 紀朝雄が詠んだとされるのは、次の一首。

草も木も我が大君(おおきみ)の國なればいづくか鬼の棲(すみか)なるべき

 この一首によって、藤原千方が操る四鬼(金鬼(きんき)、風鬼(ふうき)、水鬼(すいき)、隠形鬼(おんぎょうき))の術を封じ込めたのである。いかめしい表情の鬼が、風に飛び散りそうな一枚の紙を怖れる。そのギャップが、巨大な光る人形で表現され、言葉の持つ魔力が、迫ってくる。
 

ねぶたを題材にした児童の絵画作品

ねぶたを題材にした児童の絵画作品

 四鬼のうち、大風を吹かせる風鬼と、洪水を起こさせる水鬼は、今年何度も襲ってきた大型台風を思い出させる。この、巨大な光を運ぶ祭りは、人知の及ばない空の力に対する切なる祈りでもあるのではないだろうか。

歌はついに祈りに終わりたりしこと白銀飛沫(しろがねしぶ)く中世和歌史
                   佐佐木幸綱

 刃物によって人の命が奪われ、歴史の中心が塗り替えられていった。一方で、言葉の魂を込めた歌が人の奥底を変える力を信じていた時代を、象徴的に詠んでいる。 中世の言葉を読み解きつつ、今を生きる私たちが言葉に心を託すことの意味を思った。

歌はこころを超えゆくらむかあかときの楽欲(げうよく)として一さじの蜜 
                   山中智恵子

 一人の心、一人の身体感覚に立ち戻って、言葉を探っていきたいと思う。
                 (歌人・作家)

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