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言ノ葉ノ箱
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日没前後の街で

2020/3/2

 青年団の舞台「東京ノート」(作・演出平田オリザ)を観劇するために、吉祥寺駅で降りた。住宅地としても人気のこの街の駅ビルはすっかりリニューアルされたが、昔のままの佇(たたず)まいの商店街も残っている。黄色い看板がトレードマークの「ハーモニカ横丁」は、細い路地の隙間に赤い提灯(ちょうちん)がぶら下がり、居酒屋や雑貨店などが並んでいる。それが、ハーモニカの吹吸口のように見えるためにつけられた名前らしい。

ハーモニカ横丁の店舗

ハーモニカ横丁の店舗

 東京で暮らしはじめて30年あまりになるが、吉祥寺にはいろいろな用事で何度も訪ねてきた。例えば駅前にあったユザワヤという大きな手芸屋に生地を買いに行ったり、商店街の奥にある小さな映画館で、友人と映画を観たり、した。
 駅前の武蔵野公会堂という公共施設では、所属している歌誌「かばん」の定期的な歌会など、さまざまな会合の場として使っている。
 駅から徒歩5分ほどのところにある井の頭恩賜公園には動物園などのある井の頭自然文化園もあり、子どもを連れて遊びにいった。「かばん」で編集長をしていた頃、公園の中にある屋外舞台で、朗読コンサートを開いたこともある。
 上演時間までに少し余裕があったので、井の頭公園を少し散策した。令和になって最初の天皇誕生日の振り替え休日。3連休の最後の日。歩いているのは、親子連れや若者たちのグループ、犬を散歩させている近所の人などさまざまだ。のんびりとしてはいるが、マスクをつけている人が多い。新型コロナウイルスの感染拡大を懸念しつつも、あたたかな冬の終わりの一時をしずかに楽しんでいるようだった。
 公園の中心にある大きな池のまわりの木々は、まだ裸木のままで、冬の光にあたって、湖に繊細な影を落としていた。
 日没が迫ると、動物園は閉園し、行楽用のボートも池のひとところに集められ、一日が終わる準備を始めていた。

裸木とボート

裸木とボート

 日がすっかり落ちた後、吉祥寺シアターで「東京ノート」が開幕した。
 東京のとある美術館のロビーが舞台。家族や恋人、学芸員などがその椅子に座って束の間の会話をする。ときには、別のグループの会話が同時に交わされる。ちょっとした会話の端から、一人一人の人生や抱えている問題が垣間見える。
 劇中の世界は、日常と地続きに見えて近未来の物語だった。ヨーロッパでは戦争が続いていて、日本に避難させているフェルメールなどの名画をその美術館で鑑賞することができる、という設定である。

吉祥寺シアター

吉祥寺シアター

 あくまでもフィクションだが、大変な状況を背後に感じながら日常を送るという点では、伝染病の蔓延(まんえん)を覚悟しながらとりあえず日常を続けている私たちの現在と符合する。実は以前にも、同じ演目を観劇したことがあるのだが、胸のざわめき具合が変化したことを感じる。
 街の中で普通に会話をして、買い物をして、観劇をして、飲食をする、そのことの意味をかみしめながら帰宅した。

壮大なかかと落としのように日は暮れて花冷えの街となる 
                   服部真里子

                 (歌人・作家)

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