趣味・食・遊ぶ

言ノ葉ノ箱
  • この記事にコメントする

川の桜

2020/3/30

 子どものとき、いわゆる転勤族で、数年おきに引っ越しをした。福岡市と広島市に住んでいたときは、家のすぐ近くに川があった。記憶の中の川の水は、残念ながら澄み切っているとは言い難く、どちらも少々濁っているが、流れ続ける水を眺めるのが好きだったことを覚えている。

わたしすぐに死ねって思うし口にするから川をみにゆかなくちゃ

 思春期の心境を描いた一連の中に入れた一首である。とげとげした心を抱えていても、川を眺めているだけで不思議に落ち着いた。「愛を想う」という歌画集に収載した一首で、木内達朗さんがこの歌に添えた絵が、ダムから流れる壮大な川だったことに驚いた。それぞれの胸の中にある川のイメージは多様なのだと思う。
 現在の住まいの東京都多摩市には、東京や神奈川を横切る多摩川が流れている。万葉集にも登場する多摩川にはいくつも支流があり、その一つの乞田川は自宅から近く、川沿いをよく散歩する。ソメイヨシノが両岸に等間隔で植えられていて、3月22日の夜に歩いたときには、ほぼ満開になっていた。

乞田川の夜桜

乞田川の夜桜

 新型コロナウイルスの感染拡大の中心がヨーロッパに移り、深刻さを増していく中で見た今年の桜の花は、いつもの年以上に心に沁(し)みた。暖冬だった今年は、開花時期がとても早い。
 2011年の東日本大震災のあとに見た桜のことも思い出す。あの年は、少し寒い春で、開花のピークが4月を過ぎていたように思う。
 乞田川では、毎年地域の催しとしての花祭りが開かれ、その時期だけ吊るされる提灯がともっていたのだが、今年はそれがない。若者が数人、土手の階段にすわって、しずかにビールを飲みながらお花見をしていた。私としてはこのくらいひっそりしていた方が風情があっていいと思う。常在の街灯に照らし出される花にしばし見とれた。多摩ニュータウンが開発されて50年近くが経つ。この街の桜の木も、すっかり貫禄が出てきた。
 翌日、同じ多摩市で映画のクランクインに立ち合った。多摩川の別の支流、大栗川のそばのお店で撮影され、窓からは川の側に立つ桜の花が見えた。

大栗川の桜

大栗川の桜

 「春原さんのうた」というタイトルのこの映画、私の第一歌集「春原さんのリコーダー」の中の次の一首が原作なのである。

転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー

 脚本と監督は、多摩市在住の杉田協士さん。昨年、4首の短歌を原作とする映画「ひかりの歌」が上映された。とつとつと交わされる言葉とその間の沈黙の中に複雑な心が揺れる、奥深く、やさしい映画だった。

大栗川の遊歩道

大栗川の遊歩道

 どちらの映画も、監督が、演じる人を想定して書いた脚本だという。人の名前の入った私の一首が、映像の世界で新しい命をふくらませていくようで、わくわくする。
                 (歌人・作家)

この記事に対するコメント
一覧

  • コメントはありません

  • この記事にコメントするへ
  • 前の記事へ
  • 次の記事へ

記事一覧

 あなたにおすすめの記事